ポーランドのすぐ隣に、カリーニングラードというロシアの飛び地がある。この名前は1946年に、ソ連の政治家のミハイル・カリーニンにちなんで名づけられた。それ以前はドイツ領であり、ケーニヒスベルクと呼ばれていた。カントのいた町として知っている人も多いだろう。
クンデラ『無意味の祝祭』のなかでは、おそらく創作だが(もしかして実話なのかな?)、なぜこの土地がカリーニングラードと名付けられたのかという話がされている。
カリーニンは当時、スターリンの部下だった。カリーニンは持病の影響でとてもトイレが近かったのだが、スターリンはそれを知っていて、あえて長々と話をした。カリーニンはスターリンの話を中断する勇気がなく、結果漏らしてしまうことがあったらしい。スターリンはこの哀れな部下の忠誠と真面目さに感謝し、ケーニヒスベルクに彼の名前をつけたというのだ。
ポーランドは2023年から、カリーニングラードをクルレビエツ(ケーニヒスベルクのポーランド語読み)と呼ぶことにした。ロシアのウクライナ侵攻に抗議の意を示すためだ。また、国内世論を反映したもの、あるいはそれを煽るものでもある。この最近の事実を鑑みるとき、上の文章はよりいっそう意義深くなると思う。
しかし、お漏らしを我慢するところから人類の連帯を考えるとは、クンデラはやっぱりすごい。
印象深かった文章をもう少し引用しておこう。
これはアラン(一応主人公的存在)の母親のセリフ。アランと同じようにぼくもまた、このセリフのすべてに賛成だ。
なぜヘソ出しルックは、個性が幻想にすぎないことを意味するのだろうか? アランはこう語る。
たとえば韓流アイドルがみんな同じような見た目でヘソを出して踊っているとき、なにか不気味なものを感じないだろうか? ぼくはアランのこの言葉を、単に気持ちの悪いこじつけと切り捨てるわけにはいかないと思う。