小説『闇に堕ちにて、空に溶けゆく』7/27(土) 【第31話 Concidence and Necessity】
その日、17時20分には洋子は仕事から帰った。
そして、近所にある焼き肉屋に向かった。
不思議なものだが、子供という存在が居ると、
自然と、「夫と妻」から「父と母」という
位置づけに変わる。
それは子供がいくつになっても変わらない。
洋子は、直子の話相手になって、
そして私は、直子の皿が空くと
食べたいものを聞いて、注文する。
実は、私の中では、長男より妹の直子の方が
社会適合性は高いと思っていた。
だから無茶な注文はしないと思っていた。
その予想通りに直子は予算の“勘所”を掴んだ
注文をしている。
結局、その日は、22時まで店に居た。
かなり、アルコールを飲んだ気がする。
それは洋子との距離が離れる事に繋がった、
あの日以来の、 “暴飲”であったと思う。
とは言え、この店は自宅の徒歩圏にあるので、
あの日のようなリスクはなかった。
翌日の土曜日と次の日曜日は、直子の出産
準備用品を購入することに時間を費やした。
荷物持ちという、役割で土曜日は同行したが、
初日で、それほど嵩張る買物もないとわかり、
日曜日、私は自宅で留守番になった。
掃除をしたり、洗濯をして時間を潰した後は、
音楽理論動画を見て過ごした。
洋子と、直子の帰宅は17時頃だった。
買い物後カフェでお茶をしていたらしい。
翌日、月曜日は、病院に通院の日だった。
普段は火曜が通院日だが、先生の都合により、
この週は、月曜日になった。
折角、外に出かけるのであれば、という事で、
駅前の防音ブースを予約した。
何より暫く同居することになった直子に対し、
サックスを持って、練習のため出かけるのは、
直子から見て、ごく自然なことに見えるため、
通院日と練習日を合わせる意味合いはあった。
掃除と洗濯をしてから家を出ようと
思ったが、直子がやると言った。
妊娠中は適度な運動をしなくてはいけない、
ということだったので、掃除を任せた。
洗濯物は、私が干した。
サックスを持ち、直子に練習に行くと伝えた。
直子は、「いってらっしゃい」という言葉と、
運動のため、掃除が終わったら散歩するから、
カギを貸してほしいと言ってきた。
私が帰るまでには帰宅するということだった。
私は、その申し出通り、カギを貸すとともに、
スペアキーを作ならいといけないと思った。
その日の問診はあっという間だった。
直子とのやり取りを先生に話すと、
「私も、サプライズに関わりたい気分ですね。
決行日が決まったら、絶対、教えて下さいね」
という言葉が返ってきた。
勿論、先生の、その言葉は主治医の立場で、
私の心理状態を改善する“社交辞令”だとは、
理解していた。とは言え、素直に嬉しかった。
鬱病が、治るとか、治らないという感覚が、
よくわかっていないが、今の私の精神状態は、
間違いなく良い方向に向かってると思った。
と、同時に、先日から直子の帰省したことも、
洋子との関係改善に繋がると、確信を抱いた。
そんな自分の思考を、頭で反芻している時に、
私の中にある洋子の存在の大きさに気づいた。
実は、頭の片隅にありながら、鬱病の診断後、
敢えて避けていたイシューがあった。
それは、私が洋子に対して抱く“愛”とは何か?
ということだった。
私の中で洋子が“愛”の対象である事は明白で
それは、替えのきかないものだということは、
既に気づいていた。
その上で、私が洋子に求めているものは何か?
私が洋子に与えるべきものは何か?
その問いに答えを出す事ができないでいた。
そこに、男女という要素があるかも、含めて。
その日、駅前の防音ブースは
午後から予約をとっていたが、
診察が予想よりもかなり早く、終わった。
どうやって時間を潰そうかなぁと考えながら、
病院から公道まで出た所で、声を掛けられた。
直子「お父さん?練習行ったんじゃないの?
病院って、お父さん、どこか、悪いの?」
たまたま、散歩のため病院の前を歩いていた、
直子に遭遇した。私は、明確な答えを返さず、
その代わり近くのカフェに行こうと提案した。
店に入り、壁際の2人席に腰をかけた。
直子は、先ほどの質問を繰り返した。
直子「お父さん、病院に何しに行ってたの?」
私はコーヒーを一口飲んでから、答えた。
隆「実は3か月前から精神科に通院している。
いわゆる、定年鬱ってやつらしい」
直子の顔を見ると、明らかに驚きの
感情が表れていた。私は続けた。
隆「実は、5か月前に、母さんを喜ばそうと、
料理を作ってみたんだよ。ただ、今考えると、
自己満足だったと思う。
それを、母さんに押し付けようとしたんだが、
母さんに見透かされたのかな。
些細なことで、言い合いになってしまって。
で、そのまま外出し、記憶がなくなるほどに、
飲んでしまった。
その帰り道に転倒して、大ケガをしてしまい、
そのまま病院に運ばれたんだよ。
それで母さんに迷惑をかけてしまった。
ただ、言い合ってしまった後だった事もあり、
母さんに、素直に謝罪できなくて。
それ以来、母さんと、ギクシャクしたままだ。
情けない話なんだが、それがきっかけとなり、
自分の中に、閉じこもってしまったというか、
塞ぎこんでしまった。
それから暫くし、よく眠れない日が続いたり、
頭痛に悩まされるようになり、念のためだが、
病院に行ってみたら、鬱病と診断された。
まあ、仕事してた時は偉そうに言ってたけど、
結局、自分が思ってた立場や評価というのは、
その組織での価値観の上に立っていただけで、
確固たる自分というものがなかったんだな」
そこまで喋って、再びコーヒーを口にした。
直子から言葉があるとは思っていなかったが、
一呼吸置くためだ。しかし、予想外に、
直子が言葉を返した。
直子「お父さん、私たち家族のために、
ずっと仕事を頑張ってくれていたから、
定年したら張り合いがなくなったりしないかと
実は私、少し心配してたの。
でも、久々にこっちに帰ってきて、お父さん、
音楽を始めていて、楽しみを見つけられたと、
ちょっと安心してたんだけど、、
そうだったんだ、お父さんがケガした日の
出来事は、実は、お母さんから聞いてる」
あの日の事を、直子は既に知っていたことに、
少し驚き、コーヒーを飲む手が止まった。
(第31話 終わり)次回は7/30(火)投稿予定
★過去の投稿は、こちらのリンクから↓
https://note.com/cofc/n/n50223731fda0
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