小説『闇に堕ちにて、空に溶けゆく』7/20(土) 【第28話 Take5】
打ち込むことがあることで、不思議と自分や、
自分の生活自体、自分を取り巻く環境などを、
少しだけ客観的に見えるようになってきた。
決まった時間に、やることがあるのに加えて、
その日に、到達すべき目標というのがあると、
時間の過ごし方の“質”が変わってきた。
そうなると練習以外の部分の時間の使い方も、
メリハリがついてきたと感じてる。
サックスの練習頻度は週2回から週3回に
増えていた。また、それ以外の時間を使って、
音楽動画も、見るようになってきた。
それも何となく見るのではなく演奏方法などを
体得しようと、目的を持って見ていることで、
時間というものを、意識して見るようになる。
恐らく、今までとは集中度が違うと感じる。
そして、リビングに居る時間も増えた。
自分の部屋で見ていると、どうしても
時間の過ごし方がだらしくなくなる気が
したからだ。
そして、それは必然的に、洋子と顔を合わせる
時間が長くなる事にも繋がった。
相変わらず、会話が弾むとまではいかないが、
日常会話をする機会は増えたように思う。
ある土曜日、スウィングのリズム感を、
もっと掴むためGrooveの動画を見ようと思って
iPadを持って、リビングのソファに移動した。
そしてTake5という曲の動画を開いた。
そのタイトルからわかるように5拍子の曲だ。
iPadにイヤフォンを差し再生ボタンを押した。
だが、音が小さくて聞こえづらい。
ボリュームを上げても、あまり変わらない。
イヤフォンが壊れたか?と思い、イヤフォンを
外してみたら、大きな音で聞こえた。
きちんと刺さっていなかっただけだった。
そのため、部屋には、Grooveの演奏が
しっかり流れていた。
キッチンにいた洋子が聞いた。
洋子「その曲、ジャズ?なんていう曲?」
素直な質問だった。私は答えた。
隆「Take5っていう、ジャズの曲だよ。
元々、デイヴ・ブルーベックカルテットの
曲だけど、多くのアーティストがカバーしてる
名曲だよ。これもカバーで、Grooveっていう、
日本人のグループの演奏だよ。
それから、この曲は5拍子の珍しい曲なんだ」
洋子と、これだけ長いフレーズで、
やり取りをしたのは、久しぶりだと思った。
洋子は聞き返した。
洋子「へえ、とても詳しいのね。あなたが
ジャズを好きだなんて、知らなかったわ。」
隆「吹奏楽部だったと、言ってなかったけ?
まあ、吹奏楽はクラシックなんだけど、
でも、管楽器やっていたら、ジャズも
遊びで吹いたりしたことはあった。」
洋子「そう言えば、吹奏楽部の話は
聞いたことがあったわね。
でもかっこいい演奏。なんか、
私も好きな感じの音楽だと思って。
まあ、私は不器用だから楽器は
絶対にできないけど、聴くのは、
私も結構好きだから。」
本当に気に入ってくれたのか、それとも、
私に話を合わせてくれたかはわからないが、
確かに洋子が、家事をしながら、
Bluetoothのイヤフォンをして何か聞いている
光景は何度か目にしたことがあったので、
音楽が好きなのは本当なんだろうと思った。
そして共通の話題ができたように思い、
それによって心の中の霧が少し晴れるのが、
自分でもわかった。
洋子は、この日、土曜だが職場の
法定点検で昨晩全館停電だった影響で、
パソコン、サーバーを再起動させるために、
午前中だけ、仕事だった。
その会話の後「いってきます」と言った。
「いってきます」の言葉が、心なしか、
いつもより柔らかいものだった印象を受けた。
サックスを始めたことまでは、言えなかった。
というより、今はまだ言うつもりはなかった。
いつか、洋子に演奏をプレゼントすることが、
自分の中で明確に目的になっていた。
だから、その日までは言うつもりはなかった。
考えてもみれば、定年前の自分は、
会社という大きな組織の中で、
規則的に刻まれる4拍子のリズムの中に
身を置いて合わせていたと思う。
しかし、今、自分と、家族だけという環境で、
そんな規則的なリズムにあわせるという
必要もなくなった。
さしずめ、決まりきった流れではない、
曲線的な動きを感じる、
5拍子の世界に居るようだ。
(第28話 終わり)次回は7/23(火)投稿予定
★過去の投稿は、こちらのリンクから↓
https://note.com/cofc/n/n50223731fda0
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