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「今のままでいて」なんて••。

我が家の朝食は「パン」である。
家には食パンが常備されていて自分でも無いと気がついた時には帰りに買って帰る。
たまたま食パンがなかったある日の朝。近くのコンビニまでパンを買いに走る。
せっかく買いに来たのだからと家族各人の好みのパンを買って帰る。

家に帰ってコーヒーを煎れているとそれぞれが起き出してくる。

「好きなパン買っておいたよ」

そう言ってパンを食卓に出すと子供達はそれぞれ違うパンを手に取る。

「え!こっちじゃないの?」と聞くともう好きじゃないという。
「そうなの?まじで?」とポカンとしていると
家内が「それ好きだったのは小学生のころよ」という。
「ウッソ!今でも好きなんじゃないの?いつ変わったの?」と僕。
「そりゃ成長していけば好みも変わるでしょ。一体いつで時間が止まってるのよ」と家内。

そういえば先日こんなこともあった。

小学生の頃から知っている男の子。
中学〜高校といつの年代の姿も知っている。
高校の頃までは「こんちわ〜!」とか「今日部活でこれこれあったんすよ!」とか元気いっぱいに話しかけてきてた。

でもその日は全く話しかけてこないでどこか他人行儀。言葉遣いも「ちわーっす!」から「こんばんは」「っすよ!」が「〜です。」に変わっている。

見た目もファッションもあまりにも違うからもしかして人違い?と思ったけどどう見てもその彼だ。
「✖︎✖︎だよね」と恐る恐る聞くと「そうです」と答える。

思わず「勘弁してよ!ドキドキしちゃったじゃん。どうしていつもと違うの?違う人かと思ったじゃんか!」というと「すみません」と恐縮している。

大袈裟かと思われるかもしれないが本当にガラッと変わったから「もしかして違う人かも」と不安になったのだ。

別れ際「そんなんじゃなくて普通に話してね。」と見送った。

家に帰って家内とその出来事を話していると

「当たり前じゃない!その子大人になったのよ。」

えー!そうか!そりゃそうか!大人になった?!
目から鱗だった。そうだよな。

「今年の夏の合唱コンクールの課題曲で小学生の部が歌っていたじゃない。宮藤官九郎の作った••。なんだったっけ?」

その歌詞は確か去年と今年の君が変わるのは不思議なことじゃないというようなことが書かれてあったと思う。

なんて馬鹿だったんだろう。
「勘弁してよ!普通に話していいんだからね」なんて言って彼に申し訳ない気持ちで一杯になった。子供はどんどん成長する。そして好みも変わって行くし社会に近くなって礼儀や言葉遣いもどんどん吸収しそれを実践して身につけていく。

「変わらず気さくに話してね」なんて僕のわがままだ。
みんな自分の意思があり、なりたい自分に向かっていく。
それを「変わらず今のままでいて」なんていうのは傲慢以外の何者でもない。

大人になっても言えることだ。
変わりたい、変わってゆきたい人。恋人や家族ができて心持ちが変わった人。
環境が変われば人付き合いも変わるだろう。
それを「あいつ変わったな」とか寂しいとかいう時点で相手に置いてゆかれる。
一緒に走りたいなら理解して認めるべきだ。

当たり前と思っていたことも意外に忘れがちだったなあと子供達の成長から思い出させてもらった。

ちなみに宮藤官九郎の曲は「かわっただけだよ ヘンじゃない」でした。



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