15年ぶりのディズニーランドが見せた景色(12月16日)
ディズニーランドに行ってきた。僕が最後にディズニーランドに行ったのは覚えてないくらい前のことである。確か当時まだ小学生だった気がする。実に15年ぶりくらいだろうか。小学生の頃は冬休みに福島の実家からディズニーランドに出かけるのが家族の毎年恒例行事になっていてそれが楽しみで楽しみで仕方がなかった。不思議なもので当時楽しみにしていたものというのは大人になってからでも、当時のことを思い出していまだにワクワクできる。今でも電機屋を訪れた際には、意味もなくおもちゃコーナーをふらついてしまうのはその名残りだ。
12月のディズニーランドはどうやらクリスマス仕様らしく盛大な盛り上がりを見せていた。…良く言うと。悪く言うと尋常じゃないくらい混んでいた。入園するのに1時間待ちから始まって、アトラクションは最長で150分待ち。覚悟はしていたが実際にその列を目の前にするとめまいがしてくるほどだ。赤ちゃんもお年寄りも僕らのような若者も皆平等にこの長蛇の列を攻略しないことにはアトラクションに乗ることは一切許されない。しかもアトラクションの乗車時間など10分もない大変コストパフォーマンスの悪い仕様となっている。これだけの鬼畜仕様に加え、昨今のこの不景気の中、わざわざ1万円以上の高い入園料を払ってこれだけの人が全国各地から押し寄せる。普通に考えれば、いや普通に考えなくても正気の沙汰じゃない。何がそこまで彼女達を惹きつけるのだろうか。僕は気がつけばそんなことばかり考え始めていた。
まずこれだけ常に人の渦に晒されながら僕はこの1日をありえないぐらい楽しむことができた。まず目を疑ったのが僕がジェットコースターに並んでいる時のこと。こちらに向かって手を振る人の姿。明らかに僕の友達ではない。キャストさんでもない。なのに一生懸命こちらに気づいてもらおうと精一杯手を振っている。その姿はこちらに気づいてもらえなかった時のことなどまるで考えていない。その純粋な姿に思わず僕は手を振り返していた。日本はこういうこととはもう縁のない国だと思っていただけになんだか温かい気持ちになった。手を振る余裕のある人が長蛇の列の中でまだかまだかとイライラしているはずもない。夢の国にわざわざ来てまでイライラしたり、人と衝突して喧嘩しようなどと考える人は1人もいないのだ。園内がそういった幸せオーラに満ち満ちていた。「ディズニーはそこにいるだけでいいの」なんて言う人は達観している自分に酔っているだけだと思っていたがこの時ばかりは妙に納得できた。
そして間違いなくその雰囲気の根幹となるのが、園内のキャストさんである。無数に流れる人の波に対してひとりひとりに向けた笑顔をつくることができていた。これがどれだけ難しいことかは接客業を経験したことのある人ならば絶対にわかるはずである。その笑顔が少しでも仕事の一環としてこちらに向けられようものならその瞬間を僕は見逃さなかったに違いない。アトラクション乗り場なんてもう常に戦場である。最初から最後まで一歳切れる事のない人の波。流しては乗せ、流しては乗せ。ピーク時のファミレスくらい忙しい中で、そこから決して笑顔が切れることはない。まさにプロである。ディズニーの満足度はこの笑顔抜きには語れないだろう。
気づけば朝から晩までフル稼働。クタクタになりながらも帰る頃にはどこか寂しげなその心は、今も昔も変わることはなかった。その頃にはもう、その日があり得ないほど混雑していたことなどどうでも良くなっていた。
人混みが好きな人などいない。それをも厭わずに重い腰を上げて、高いお金を払ってでもその価値があると人が判断したものにはそれなりの理由が存在する。それは偏見を抜きにして一度経験してみる価値はあるし、そういった意外な体験の中でどう楽しむかが好奇心の幅を増やしていく。きっと僕はまた戻ってくるに違いない。まばらな味付けのキャラメルポップコーンとジャリジャリに砂糖がまぶされたチュロスとアニメみたいなターキーレッグを食べるために。