八月ノ生ト死
8月9日は亡夫との結婚記念日でした。
彼と入籍するとなったとき、その日取りはどうするかという話に当然なります。
付き合いはじめの日でよいのではないかと彼が言います。お付き合いシテクダサイという初々しい告白を経て付き合った我々だったので、交際開始日ははっきりしていました。
入籍日は決まりました。
いいふうふ、などの語呂合わせがあるわけでもない日です。語呂などなくとも忘れないだろうというのが共通の意見ではありましたが、戯れのひとつとして何の日か調べました。長崎への原爆投下日の日でした。人類が原子爆弾を使用した、最後の日となるべき日です。
それからパクチーの日でした。私はパクチーが好きです。食に保守的だった彼も私に付き合う内にエスニックが好きになっていました。根っこは柔軟で好奇心の旺盛な人なのに、表面は警戒心の鎧でガチガチなのです。海老の背のような、或いはブラインドのような鎧の隙間からパクチーを差し込んだら、彼はビールに合うと言って大好きになりました。
「野球って語呂合わせもある、吐くの日でもいいし、でもパクチーが覚えやすいね」と私が言いました。原爆の件はなんとなく羅列から外しました。このなんとなくを分析すると自分に反吐が出るので見ないふりをいまだにしています。
「吐くはやだなあ」と彼が言いました。
その年の8月9日は土曜日でした。区役所の裏手、警備員さんの窓口で婚姻届けを提出します。記念の写真を撮ってもらいました。
彼の先輩の子供が生まれたと報告がありました。私も付き合いのある夫婦です。最後に会ったとき奥さんは妊娠中で、糖質の制限をしていたことを思い出します。背の低い人でした。同い年でした。これでお付き合いのある友人夫婦の第一子の誕生日も忘れないだろうし、なんとなく縁起もいいじゃないか程度に私は思いました。彼はもっと深く、運命のようなものを感じて喜んでいました。
8月11日、父が亡くなります。
婚姻届けの保証人欄は彼の父と私の父です。父は末期の癌で入院中でした。サインをした時点ではまだ字が書けました。入籍当日、報告に行った時は、もうあまりよく分かっていないような反応でした。
私はというと勿論悲しく混乱しましたが、生きているうち――保証人として有効であるうちに提出できて良かったなとも思いました。
婚姻届けの保証人欄は、父が最後に書いた文字になりました。母は父が練習のために別紙に書いたサインを今でもとっておいています。
8月11日は日本が太平洋戦争にかかる降伏の受け入れ意思をはじめて対外的に表明した日でもあります。しかしそれは広く国民知られるものではなく、戦闘は停止せず、同日にも回天が三機発射されているのです。
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