【Archive】第3回和倉トーク 2024/9/21
開催
第3回目の和倉トークと同じ和倉温泉総湯内にある畳の間には、
地元住民、行政関係者、旅館経営者、運営関係者など20名ほどが集まった。
和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会による和倉トークの第3回目のテーマは「温泉のある街の暮らしを考える」
街の中に「温泉」がある和倉ならではのテーマとなった。
観光・旅館主導の街づくりから、観光・防災・住民を取り入れる。
簡単なようで、実は多くの課題を抱えていることが明らかになっていく。
当日のプログラム
街の成り立ち・歴史から学び、新たな街づくりに活かしてもらいたい。
1200年以上の歴史を持つと言われる和倉温泉街が、どのような歴史的な変遷を辿って、今があるのか。過去の人たちがどんな思いで、この街を作ってきたのか。
落ち着いたトーンで小泉氏が和倉の歴史を語り始めた。
guestトーク: 和倉温泉合資会社 小泉孝史社長
今から100年以上も前の和倉の人々が、全てをかけて和倉温泉の権利を加賀藩から返還させた歴史から、ゲストトークは始まった。
加賀藩の少五郎が長年の間、和倉の湯元の権利を持っていた。温泉の湯賃や宿泊代金までも加賀藩に徴収されてきた苦しい時代を過ごし、明治維新の金沢県・七尾県が置かれたタイミングで、和倉の人々は手切銀を集め、少五郎に金を渡すことで、なんとか湯元の権利を和倉村に取り返した歴史である。
和倉温泉の源泉が湧き出る和倉温泉湯元の広場には、上の歌が石碑に刻まれている。地元で有名な相撲取りが湯番徒を海に放り投げたという逸話が残るほど、まさに力づくで和倉温泉の権利を取り戻したのである。
自分たちの手で温泉街を作り、国に認めてもらい、高度経済成長を経て、街が拡大していく様子が目に浮かぶような語り部で、会場は引き込まれていく。
和倉温泉は明治18年に湯株制を導入し、後に合資会社を設立する。明治18年の総代は小泉清右衛門と野田菊太郎。最高株主は多田喜三右衛門と和歌崎五右衛門ら。地元の偉人たちの像は今でも弁天崎公園に建てられている。
彼らもまた、同じようにどのように今後のまちづくりをしていくか、話し合っていただろう。
自然の恵みである温泉資源は、いつかなくなる。ということを念頭におくことの大切さを次の経験と重ねて語った。
潤沢にあるわけではない温泉資源だが、海から湧くという利点を活かしたメリットについても触れていく。
今日のテーマである「温泉のあるまちづくりを考える」の講演の中で、
「温泉がなくなった時のことを考える」。
それは、温泉という強力な地域資源を最大限に活かすだけでなく、
温泉が無くなったとしても、和倉温泉街が生き残っていくための街づくりも考えていく。ということ。
ここで、多田氏から、
「小泉社長が思うこれからの温泉のある街はなんだと思いますか」
と質問があった。
和倉温泉の旅館は成長とともに、旅館の中にカラオケ、飲食、お土産屋さんを作り、全て旅館の中で完結するようになった。
また、海側に横に広がって旅館が立ち並んだため、街から海が見えない状態になっている。
この和倉温泉街での「街づくり」は、「街から見える街づくり」である。
個々の旅館からの景色だけでなく、街を歩く、街を訪れる日帰り客が楽しめるようなお店や景観、街歩きをどう作っていくか。
和倉の歴史を紐解くことで、今現在の和倉温泉の立ち位置を客観的に捉える機会となった。
また、小泉氏はこう語る。
最後には、理想について語った。
ワークショップ
住民参加型のワークショップでは、今までの和倉とこれからの和倉について、こうなって欲しいと思う街を付箋に貼り出すワークショップを行った。
最後は班ごとの意見をまとめて発表した。
これが和倉トークでは恒例の枕詞になっている。
ワークショップで言いたいことをぶつける。
思い出話や街や行政への不満、
日頃からこうなれば良いなと思っていることを、
みんなで集まって考え、言語化して地図に落とし込む。
複雑なものを複雑なまま残しておくことがワークショップの醍醐味だろう。
閉会
司会者から最後の挨拶。
こうして第3回和倉トークは熱気を持ったまま幕を閉じた。
先人たちの和倉温泉街のまちづくりを知り、現在の住民たちの意見を反映させながら、若手が新しい和倉を作っていく。
課題は多い。
ただ、課題が見えてこないことの方がもっと怖い。
和倉トークという場を設けることで、今まで見えてこなかった地域の課題と
活かしうるポテシャルが見えてくる。
今後の和倉トークにも期待が高まる。
文責 : 一般社団法人Code for Noto
代表 羽生田文登