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【Archive】第2回和倉トーク 2024/8/17


開催

「みなさま本日はお集まりいただきありがとうございます。それでは、第2回目の和倉トークを始めていきたいと思います。」

第2回目の和倉トークと同じ和倉温泉総湯内にある畳の間には、
地元住民、行政関係者、旅館経営者、運営関係者など30名ほどが集まった。

和倉温泉総湯。この日はジリジリと強い日差しが照り付けていた

和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会による和倉トークの第2回目のテーマは「防災に強いまちを考えよう

震災発生時も多くの観光客が宿泊していた和倉温泉ゆえに、
防災」が堂々たる2回目のテーマとなった。

そして、第1回目に続き、参加者にはマッサージの割引券付き。
和倉温泉らしい特典だ。

わくたまくんのFacebookの投稿

当日のプログラム

 ・guestトーク: おくだや 奥田一博社長
 ・ワークショップ
 ・チームごとの発表

今回の震災から学び、次なる地震に備える。
安全かつ強靭な地域づくりをするために、住民のみなさんと一緒に考えていきたい。

当日の概要説明とともに、参加者の意識がキリッと整ったような気がした。

「和倉温泉」創造的復興ビジョンの安全の項目について説明する司会者

guestトーク: おくだや 奥田一博社長

和倉温泉で、死者は1人も出なかったことは、すごい。
日本で最も災害に強い街だと言っても過言じゃない。

そう力強く語る奥田氏。

旅館の従業員たちも、今回の回るような大きな揺れを経験しながらも、
宿泊客の安全な避難誘導に尽力したエピソードは、
想像を絶する苦労だったであろう。

続けて、発災当日の状況を報告した。

まずは、宿泊客を安全に避難させること。津波警報が出ていたので、丘の上の和倉小学校に向かいました。小学校の規模は384人。そこに住民800人、観光客1,200人が押し寄せる形となりました。それでも、和倉の人たちはすごい。観光客が避難所に一斉に押し寄せても、みんな冷静に対応していて、住民だけじゃなく、観光客を自然と受け入れて避難行動を取っていたんです。そうやって、住民のみなさんが、自発的に行動してくれたおかげで、和倉温泉街での死者は0人だった。これはすごいことだと思う。

第1回和倉トークでも、和倉の住民は子どもの頃から生活の中に観光客を自然と受け入れているエピソードがあった。

緊急時で、狭くて暗い場所に人がごった返していても、
住民が冷静に観光客を受け入れ、自発的に出来るのは、
紛れもなく、「地域の防災力」の象徴である。

奥田氏は2007年の地震の教訓が活きた話を続けた。

避難者の数を数えました。

2007年の地震の教訓で、避難者の数はその時じゃないと取れない情報。だから、手分けして、まずは避難者の数を数えました。2007年のときには「情報が知りたい」という声が殺到したんです。それが頭にあったので、今回の地震は情報収集を積極的に取り組みました。各旅館の状況を足を使って取りに行って、国交省や関係者にすぐに共有。避難者の数を数えることも、情報収集のひとつでした。

聞いていながら、「自分だったら同じことが出来るだろうか」
そんな風に思ってしまう。
観光客、従業員の安全を確認しつつ、各旅館との情報連携、避難者の数の確認。

また、情報収集作業に集中することが出来たのも、
避難所での地元住民の行動がバックアップしていることは言うまでもない。過去の教訓を活かし、最善の行動を即座に取るためのノウハウが凝縮されたお話しだった。

いくつかの諸問題の対応についても触れていた。

  • 鍵問題

冬休み期間中の小学校の鍵を持っている人が来られず、
まずは中に入ることが困難だった。

最終的には、保健室の窓を割って、鍵を開けた。

  • トイレ問題

運動場(グラウンド)を掘って、女性男性をわけて簡易トイレを作成した。

  • 寝具問題

旅館のスタッフが旅館から台車で毛布等の寝具を運んだ。
道路は亀裂が入っており、車は通れず、台車を押した。

  • 食糧問題

売店などから手分けして台車で運んだ。

  • 空き家問題

町内の班長などが率先して見回りを行った。

  • 観光客の帰宅問題

夜が明けた次の日に、金沢には新幹線が出ていることが分かったため、どうにかして金沢まで送り届けようとした。

ただ、のと里山海道は壊れ、
一般道もどこが通れるか分からない状況だった。

旅館のスタッフが一晩中、金沢までの車での帰還ルートを探し、
宿泊客に帰路をアナウンスした。

被災時に小学生がいたらと思うと、ぞっとします

冬休み期間だったため、小学生たちは学校にはおらず、
学校での被災は免れた。

観光客が多い時は、学校が休みなことが多いから、反比例する可能性もあるが、500人の規模の避難所に2,000人は無理がある。

指定避難所の想定収容人数の上限について、
観光地ならではの課題に直面したことで、今後のまちづくりのヒントになると語る多田氏。

そして、今回の震災から得た教訓も数えきれないほどあった。

和倉も津波が3m規模のものはくる。

水が出るようになるまで3か月もかかった。自己水の確保が重要

お身体の悪い宿泊客のために、避難所および避難経路にユニバーサルデザインを取り入れないといけない。

避難所までのルートの提示

最後には、地元住民だけではなく、観光客にとっても安全なまちづくりをしなければならないと語った。

和倉温泉が、防災と観光を常にセットで考えないといけません。特に、観光客にとっては見知らぬ街で、ましてや地震の多い街。今日のワークショップを基にして、観光客の避難ルートの把握に役立てることが出来たらと思っています。

そして、それは、日本全国の温泉地でも同じことが通用するはずです。

ワークショップ

住民参加型のワークショップでは、震災当日の住民たちの避難経路を図示するワークショップを行った。

震災発生時にどこにいて、どこに避難したのか。
ルートとともに付箋で状況を貼っていくと、参加者=被災者それぞれが全く別の体験をしていることが分かる。

各々が近くの高台へ避難している
和倉小学校の手前のお墓で大勢が避難した
苦労しながら和倉小学校方面へ避難した

ここからさらに、発災・一時避難から避難解除・現在まで、時系列で課題を整理するワークショップが行われた。
水、トイレ、電気、防災意識など、自分たちの経験を言語化し、カテゴリ別に整理することで、経験を教訓に変えるワークショップとなった。

水に関する様々な課題と対策が見えてくる
トイレ問題ひとつとっても男女に対策の違いが見えてくる

閉会

司会者から最後の挨拶。

「これからも月に1度このような和倉トークを設けさせていただく。住民のみなさんのご意見を集めながら、持続可能なまちづくりを目指していけたらと思います。本日はお集まりいただきましてありがとうございました。」

「地元のみなさまには、今回も総湯でのマッサージの割引券がございますので、お受け取りください。」

そんなアナウンスがあるのも、和倉らしいまちづくりワークショップだ。

こうして第2回和倉トークは幕を閉じた。

住民が感じた辛い経験、頑張った経験、モヤモヤしていたことなどを発散しつつ、未来の教訓に進化させることで、
日本中に誇ることの出来る安心安全な温泉街・まちづくりに繋がっていく。

加賀屋越しに見える和倉の夕陽

文責 : 一般社団法人Code for Noto
代表 羽生田文登



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