【ネタばれなし】映画『MONOS 猿と呼ばれし者たち』の感想
シアター・イメージフォーラムにて、ようやく映画『MONOS 猿と呼ばれし者たち』を観てきました。
類似する作品には、『地獄の黙示録』『蝿の王』『闇の奥』などが挙げられていて、観る前からこの作品は自分好みなはず!と期待値が膨らんでおりました。
前半の舞台は、雲が足元に見える高い山々に囲まれた山岳です。非常に美しい光景で、ポストカードにもなりそうな雰囲気もあります。環境ビデオとして、風景の映像だけでも価値がありそうです。
しかし、ここには新米ゲリラの少年・少女たち……通称モノス(猿)がいました。
彼らは、お互いを「ランボー」「レディ」「ウルフ」といった、ニックネームで呼び合っています。上官がゲリラとして育て上げるため、名前を捨てさせたのかもしれません。年端も行かぬモノスが、銃を楽しみのために乱射したりする光景は背筋が凍ります。
風景は天国のようでも、時折、無邪気な地獄が垣間見えます。
彼らの任務は、ゲリラの人質となっているアメリカ人女性の監視です。映画を観る前は、ひどいことされるんだろうなぁ~と戦々恐々していたのですが、あにはからんや。人質は丁重に扱われます。上官の命令は絶対なのでしょう。人質を傷付けたら、価値が失われますし。
モノスも、年上の人質を敬愛するような面も見せたりします。
──ところが。
事態が動き始めます。
敵もいない楽園であった山岳が攻撃されてしまうのです。
ゲリラ側の勝利に終わりますが、人質と共にジャングルへ移動します。
ご存知の通りジャングルは、身を隠せるものの宝庫です。
そして、モノスと人質の関係も……。
ここからは、実際に映画をご覧になってほしいです。
ナチュラルにネタばれになってしまいそうなので😅
あと、映画を観ながら『地獄の黙示録』との対比を考えたりもしていました。
決定的に異なる点は、カーツ大佐のような「中心」が不在なのです。
カリスマがゲリラを率いる関係性ではなく、名もない少年・少女のゲリラ兵たちは、アメーバーのような人間関係です。くっついたり離れたり。かなり混沌としています。
行きあたりばったりのように見えるのは、自分が映画の観客という客観的な存在だからでしょう。当事者は必死に生きています。
俯瞰して考えると、自分もモノス(猿)と言われている彼らと同じなのかもしれません。
「安全地帯」にいた観客の自分と、モノスが重なりあった瞬間が何度もあり、ゾクッとするような怖さがありました。