【短編】瓦礫
本棚に、一際古びた表紙の本を見つけた。永井荷風の「四畳半襖の下張」というタイトルの本である。タイトルを読んだわたしは、胸のうちにしずかなさざ波が広がったような気がした。
その本はカラフルな付箋がバーコードのようにたくさん貼られていた。他の本にはなにも貼られていないのに、なぜこの本だけ。手の垢、本の傷からして大切に何度も手に取られているようである。
厳格で寡黙な父がなぜこの本を大切に読むのだろう。付箋が貼ってあるページには棒線まで引かれてある。
「雪のやうなる裸身」「此方へすこし反身そりみになつて抜挿ぬきさし見ながら行ふ面白さ」に魅力を感じたのか。棒線の箇所をほかにも読み進めていくうちに戸惑いと嫌悪の度合いが増していった。
その本を手に取っていたわたしは、戸惑いと嫌悪の勢いで台所のゴミ箱に投げ捨てた。厳しい警察署長の父の厳粛な姿は粉々となり瓦礫の山に変わった。
本を捨てた翌日の夜、父はリビングに一度も来なかった。更に次の日、父の本棚にその本は戻されてあった。