「憎い仇(魔王)が過保護に世話を焼いてくるけど、復讐の花嫁は今日も魔法をぶっ放す」第3話

【第3話】
「泣くナ」

 兜の下の紅眼がじわりと滲むように揺れたかと思うと、魔王は左手で私の頬を伝う涙を拭おうとしたのだ。

「え……」

 唖然として動けなかった私の頬を魔王の指が撫で――……。

「◎×△●●◇~~ッ‼」

 スパッと頬が切れ、真っ赤な血が噴き出したものだから、私は言葉にならない特大の悲鳴を上げた。まるで地面から抜かれたマンドラゴラのようだったと思う。
 魔王の左手には鋭利で長い獣の如き爪があり、それが私の頬を斬り裂いたのだ。

「こ……っ、この卑怯者! 私が大事な話をしてる隙を突いてくるなんて!」
「ゴ、ごめん! そんナつもりハ……! す、スグに薬草を取ってくル!」

 おろおろと狼狽える魔王を私は許さなかった。そもそも憎い相手なので一秒たりとも許してはいなかったが。

「えぇい! 食らいなさいッ!」

 本日二発目の上級神聖術を発動させたが、謝りながら森の中へと逃げ去って行く魔王には掠りもしなかった。

(くぅ……っ! 瞬発性を鍛えてやる……!)

 その後、魔王が持ってきた薬草は生傷によく効いた。
 そしてその日から、私は神聖術の特訓だけでなく、筋トレも始めたのだった。

 ◆◆◆
 私は、三食の健康的な食事と運動を心がけた。
 健全な魔力は健全な肉体に宿る――。
 死にたがっていた令嬢の体を聖女全盛期まで戻し、魔王と対峙するために、特に私は毎日料理をし、しっかりと食べた。

 煤だらけになりながらパンを焼き、肉を塩漬けにして干し肉に、野菜はピクルスにしてみたり、生卵を割るのは苦手なので茹で卵にしたりして食べた。
 すべて、バゼルが旅の中で教えてくれたことばかりだ。

(彼は屋敷の中しか知らなかった私の価値観を変えてくれた。自分で何かを作ることはとても楽しくて、不便なことだってやりがいになる。人生はいくらでも面白くなる……)

「あなたが生きていたら」

 藍色の長い髪をするすると梳かし、結い上げながらそう呟いた時、ドアの向こうからギシギシと金属が軋む音が聞こえた。
 私は髪を結うのを中断し、今日こそはと意気込んで調理場の窓を勢いよく開き、外を覗いた。

「ついに現場を押さえたわ!」

 私が大声で叫ぶと、ドアの前にいた【異形の魔王】がびくっと震え上がったのが見えた。

「ウワッ! 急に大きイ声を出すナ!」
「魔王のくせにこそこそするのが悪いのよ!」

 私は窓から元気よく飛び出すと、魔王の足元にあった籠に被せられていた布を取り去った。中には捌かれた状態の兎肉と調味料が入っている。そして籠の外には新しい洋服と香油の瓶がそっと置かれていた。

 今日だけではない。この家に住み始めてから毎日、気が付くと家の前に食糧や衣服、薬草なんかが少しずつプレゼントのように贈られていたのだ。

「食べ物だけじゃなく、香油まで。まるで意中の女性へのアプローチね」
「エッ! いや、オレは……ッ」
「冗談よ」

 兜で隠れた顔は見えないが、私の意地悪な発言に魔王は戸惑っているかのように感じられた。少し意外である。

「どうして私の世話をするの? これもバゼルの遺言?」

 私が詰問のように尋ねると、魔王はおそらく居住まいを整えるために鎧をギシギシと軋ませ、「……そうダ」と答えた。

「盗賊は聖女ガ笑顔でいらレルようにト、オレに願っタ。盗賊ヲ失い、アレスと無理矢理婚約ヲ結ばさレ、自由ヲ失くしたオマエは笑ワなくなっタだろウ? だからオレは、オマエが盗賊との過去ヤ、王国のシガラミから自由になったらいいト思っていル」
「殺したくせに、バゼルを代弁するような真似はやめて!」

 私は思わず声を荒げた。
 魔王が私の空っぽの一年間を見て来たかのような口ぶりで、しかもそれが当たっていたことが癪だったのだ。

 旅が終われば何もかもを捨て、バゼルと二人でどこか遠くへ行くつもりだった私は、彼を失ってから自暴自棄になり、親や国王、アレスの言われるがままに生きてきた。

 けれど、彼と生きる夢が叶わなくなった絶望は私だけのものであり、魔王なんかに語られたくなない。ましてや、バゼルのことを忘れて生きろなどという発言を許してたまるものか。

「私は一生バゼルを覚えている。愛した人を簡単に忘れるなんてできないわ」

 きっぱりと言い放つと、私と魔王の間に数秒の沈黙が流れた。遠くの小鳥がピピピとさえずる声がよく聞こえ、その間に私の頬は分かりやすく真っ赤に染まり上がってしまっていた。

「い、今のは聞かなかったことにっ!」
「言わなイ! 誰にも言わなイ!」

 愛だ恋だなんて話を誰にもしたことがなかった私は、急激に恥ずかしくなってしまい、慌てに慌てた。なぜ憎き仇にこんなことを話してしまったのだろう。そしてなぜ、魔王まで照れた様子で慌てているのだろう。

「さ……さてはあなた、ウブなのね! 魔王は侵略で忙しくて、色恋どころじゃなかったんでしょう⁉ ふふ、意外な弱点発見ね!」

 照れ隠しのために早口でまくし立てた私だったが、その時にはすでに魔王の姿は跡形もなく消えていた。どうやら転移魔法を使ったらしい。

(これは……。魔王は本当にウブってことでいいのかしら?)

#創作大賞2024
#漫画原作部門


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