「憎い仇(魔王)が過保護に世話を焼いてくるけど、復讐の花嫁は今日も魔法をぶっ放す」第2話
【第2話】
そして、人里離れた森での生活が始まった。
魔王が連れて来た家だというのに、中には小さいながらもきちんとした調理場があり、真新しい調理器具や、外には石窯まである。そして二階には一人用のベッドと女性ものの衣類がいくつか置かれており、こちらもまっさらだった。
(ひとつひとつ、すべてが新しい……。魔王が私のために用意した物だというの……?)
いやいや、何かの間違いだ。魔物を率い、虐殺を繰り返していた【異形の魔王】が、そんな人間じみた真似をするわけがない。きっと新築で新生活を始めようとしていた人を殺め、家を奪ったに決まっている。
私のせいでごめんなさい……と、私は聖女らしく清らかな祈りを捧げた。
家の主の分まで、私は強く生きる。なんといっても、あの魔王に復讐しなければならないのだから。
私はずるずると引きずっていたウェディングドレスを脱ぎ捨てると、身軽なエプロンの付いたワンピースに着替えた。そしてウェディングドレスは刻んで雑巾にでもしようと考えながら、調理場へと下りる。
強力な神聖術を放つには、まずは食事で体力をつけるべきだろう。
(料理……、久しぶりだわ。わくわくする……)
貴族令嬢の私は、料理なんてしたことがなかったし、聖なる力に目覚めてからは、聖女の修行ばかりの毎日だったのだ。
当時、聖剣に選ばれた王子との旅は快適なものだと思い込んでいた私は、そこで大きなショックを受けたことを覚えている。
第三王子アレスは、王位欲しさに勇者に立候補した野心家であり、
聖剣を金で買い取ったため、重くて振るうことすらできないこと。
魔法学園時代から優等生だった私を嫉妬し、嫌っていたこと。
父王に秘密で屈強な仲間を雇い、見栄を張って救って仲間にしたと偽ったこと。
戦いは私と仲間たちに任せきりだということ。
女傭兵とねんごろになり、有り金を持ち逃げされてしまったこと。
そして、貧乏勇者御一行様は日銭を稼ぎ、わずかな食材で料理をしなければ生きていけないことを私は知った。
アレスは「未来の王は料理なんてしない。マーニャ。女のお前が作れ」と私に料理を命じたのだが、箱入り娘の私の頭にはなんのレシピも入ってはいなかった。雇われた仲間たちもアレスから手出しを止められていたのだろう。調理場から少し離れた野営地から、皆、チラチラとこちらを見るだけで、手伝ってくれる者は一人もいなかった。おそらくアレスは、私が泣きついてくるのを待っていたに違いない。
悔しいので野菜を丸ごと皿に乗せて食べさせてあげようかしらと思っていると、そんな私に声を掛けてくれた青年が一人だけいた。
その人こそがバゼル。小麦色の髪に綺麗な翠眼を持った、私と同じ歳――18歳の青年だ。
彼はアレスが雇った者ではなく、山賊に襲われていた村を救った私に恩返しをしたいと言い、ついて来てくれた盗賊だった。不意打ちで相手の急所を突く戦い方を得意とするため、大型の魔物や多対人戦は苦手だが、盗賊というだけあって、彼の宝の鑑定眼や鍵開けの技術はとても役に立った。
けれど底意地の悪いアレスはバゼルの功績をなかなか認めようとせず、「薄汚い卑怯者」と度々罵っていたが、私は彼を気に入っていた。
彼は、空っぽだった私にたくさんのものを与えてくれたのだ。
「なぁ、マーニャお嬢。どうせなら上手いメシで王子様をびっくりさせてやろうぜ!」
明るく笑いながら、バゼルは私に料理を教えてくれた。
初日は散々なものだったが、毎日毎日根気強く包丁の持ち方、野菜の皮の剥き方に切り方、香草の使い方、パンの捏ね方に肉の焼き加減……。旅が終わってしまったので、肉の捌き方までは教わることができなかったし、どれも粗末な品ばかりだったが、私は彼のおかげで料理をする楽しさを知ることができたのだ。
(スープを作ろう……。バゼルが初めに教えてくれた、ひよこ豆のスープを)
バゼルとの思い出に浸りながら調理場を散策していると、水瓶に入ったひよこ豆を見つけた。私はそれを使ってスープを作り始めた。
ひよこ豆を鍋で茹で、味付けは塩と胡椒とシナモン、そしてオリーブオイル。
家の周りには花だけでなく、たくさんのハーブが生えており、使えそうなものを摘み取り、みじん切りにして鍋に入れた。
(パセリとバジル、チャービルも使えるわ。このハーブ、誰かが世話をしていたのかしら……?)
バゼルが丁寧に教えてくれたことを思い出しながら、鍋でコトコトとひよこ豆のスープを煮込んでいく。
しばらくするとハーブの香りが立ってきて、調理場に食欲をそそる良い香りが広がっていった。
(空腹を感じたのは、いつぶりかしら……。バゼルがいなくなってからは、ずっと食欲がなかったものね……)
スープだけでは力は出ないと思った私は、そこから簡単なパンを焼こうと小麦粉を捏ね始めたのだが、これが思いの外時間がかかっててしまった。
バゼルと二人でパン作りをした時は、もっとスムーズだったのだ。けれど力の衰えた私一人では、なかなかパン生地が捏ね上がらず。
パンが焼けた頃にはすっかり夜が更けてしまっており、私はヘトヘトに疲れ果てていた。早朝から結婚式の支度、式で魔王にさらわれて、それからずっと料理をしていたのだ。疲労を感じないわけがなかった。
(だめ……。食べる元気がない……)
ダイニングテーブルにぐったりと突っ伏していると、コンコンッとドアを誰かが叩く音がして、私は恐る恐る外を覗いた。警戒して辺りを見回すも、ドアのそばには誰もおらず、あるのは金色の液体の入った小さな瓶だけだった。
「これは……?」
怖々と瓶の蓋を開け、くんくんと匂いを嗅いでみると、よく知った甘い香りがした。警戒しながら小指で少しだけぺろりと舐めてみると。
(蜂蜜だわ……)
私はパンに蜂蜜をかけて食べるのが大好きだった。公爵家にこもっていた頃は、そんな食べ方をした事はなかったのだが、バゼルが「蜂蜜を塗りたくったパンは絶品だ」と言い、私にもその味を教えてくれたのだ。
(そうよね。絶品だもの)
疲れた体を癒すため、そして何よりバゼルの仇を討つために、私は食事に臨むことにした。
「スープもパンも美味いよ、マーニャお嬢。ちょっとしょっぱいけど」
バゼルならきっとそう言って全部食べてくれるだろうなと思いながら、私はぐすんっと鼻をすすったのだった。
◆◆◆
次の日から、私は毎日魔王に挑んだ。
というのも、魔王がこの家の庭を拠点にしていることが分かったからだ。
昼間は一日一回程度、転移魔法で現れる。そして家の周りをぐるぐると回り、森の奥へと歩いて消えるか、再び転移魔法で姿を消す。
夜はだいたい、家の壁にもたれるようにして地面に座っている。時々尻尾が動いたり、マントの炎が大きくなったり小さくなったりするので、おそらく眠ってはいないと思う。
気になったので一度奇襲を仕掛けてみたが、死角からの神聖術を指一本で消し去ったので、やはり起きていたのだろう。
きっと私を監視しているに違いない。アレスと連絡を取ろうとしたら殺そうだとか、そんなことを考えているのだろう。
けれどこの監視を利用しない手はないと、私は魔王の姿を見つける度に神聖術をぶっ放した。
「バゼルの仇……!」
「まだまだダナ。瞬発性が足リなイ」
「きぃぃぃっ!」
その日も庭に現れた魔王にシッシと軽くあしらわれてしまい、私は悔しくて地面をごろごろと転がった。まるで駄々をこねる子どものようだが、私と魔王しかいない場所で恥ずかしがる理由は何もない。
「だんだん現役時代の魔力量に近づいてきてるのに……。あなたが私に一向に剣を抜かないことも腹立たしいわ」
私はむくりと起き上がり、魔王の腰の大剣を指差したのだが、その時ふと、かつての旅で魔王と何度か邂逅した時、彼は大剣を携えていたことを思い出した。たしか先がギザギザした葉のような形をしていた。アレに抉られたら痛いでは済まないだろうと、アレスがぶるぶると震えていたのを覚えている。
「今は片手剣なのね。大剣はどうしたの?」
「……魔王城で落としタ」
なんと間抜けな嘘だろう。兜で顔が見えなくとも、不自然な間で丸わかりだ。
私はその理由を推測し、すぐにピンときて大きく頷く。
「バゼルに折られたのね。悔しいから、私にそんな嘘をつくんだわ。そうでしょう?」
私はバゼルの奮戦をずっと心に思い描いていたのだ。
旅の中で、いや、きっとバゼルが生きて来た中で、その強さを認めようとした者はいなかった。
孤児だった彼は生まれた村でも「どぶネズミ」と蔑まれ、雇い主には何度も報酬を踏み倒され、アレスには聖剣や荷物を持って運ぶ係を押し付けられていた。
けれど、私だけはちゃんと見ていた。
「彼の戦い方は、一朝一夕で得られるものじゃない。あのしなやかで軽やかな身のこなしは、彼が人生を通して手に入れた宝よ。それに非力に見えるけれど、力だってあるんだから! 一撃で敵を仕留めるところだって何度も見たもの! それにね、聖剣が光っていたのよ? アレスは鞘から抜くことすらできなかったのに、彼が軽々と抜いた剣はとても眩かったの……っ」
バゼルは強い。
バゼルは何度も私を助け、守ってくれた。
仲間を守るため、国を救うため、一人で【異形の魔王】に立ち向かう勇気と優しさもある。
私は彼が傷だらけになりながら戦う姿を思い出し、涙をぽろぽろと零した。泣くのは久しぶりだった。一年間、心を殺して生きて来たから。
「本物の勇者は……バゼルなのよ……! 王や……民が認めなくても……、うっ……。バゼルは……誰よりも、勇者だった……!」
誰に何度そう訴えても、信じてもらえなかった。そんな言葉を憎き魔王にぶつけるように吐き出す。
すると、信じられないことが起こった。
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