「恋煩いとルームシェア」第2話

【第2話】
 翌朝俺は、狭い部屋に香る味噌汁の匂いで目が覚めた。作ってくれたのはもちろん、同居人の颯真だ。

「いい匂いする……」

 まだ目が半開きの俺がベッドから転がり落ちるようにコタツに移動すると、「おはよーさん」とご機嫌な颯真の声が頭上から降ってきた。

「味噌汁紙コップに入れたけど、いいよな? ってか樹ん家、食器ぜんぜんねぇじゃん。不便じゃね?」

「紙コップで十分。ってか、下宿生の男子の家に食器を望むな」

 ようやくちゃんと目が開いた俺は、コタツのテーブルの上に並んだ白ご飯と味噌汁、くるくるの卵焼きを見て、思わずごくりと唾を飲み込んだ。
 普段まったく自炊せず、実家にもほとんど帰らない俺は家庭的な食事に飢えているわけで――。

「食べてい?」

 麦茶のボトルとマグカップを運んできた颯真を見上げてそう問うと「もち!」という軽快な返事が飛んできた。
 俺は「いただきます」と両手を重ね、そしてぱくっと卵焼きを口へと放り込む。

「うまっ」

 ちょうどよい出汁加減の卵焼きだ。色も綺麗な黄色で食欲をそそる。

「颯真がいたら、俺、毎日こーゆーのが食えるの?」
「へへっ。療養中は学校も休みだから、さらにコレもお付けします!」

 もぐもぐと次の卵焼きを咀しゃくしていると、颯真が通販番組の司会者のようにひょいと弁当箱を差し出してきた。

「愛妻弁当~! 中身は昼のお楽しみな!」
「マジかよ。ありがと……! 愛妻じゃないけど」

 俺は平然を装って弁当箱を受け取るが、おそらく顔のによによは隠し切れていないだろう。表情筋がいつもと違う動きをしているので、多分真顔以外の顔をしている。

(勘違いすんのやめろ、俺! 相手は【恋ワズライ】なんだぞ!)

 俺は落ち着くために深く息を吸い、そして大きく吐き出した。

 颯真のことを好きだと自覚したのは、中学二年生の時。
 ませた同級生たちによる「好きな女子のタイプは?」だとか、「付き合い始めました」だとか、そんな浮ついた話題が増えてきて、いざ俺も会話に混ざろとしたものの、颯真の顔しか頭に浮かんでこなかったのだ。

 俺は女子よりも颯真と話す方が楽しいし、颯真とゲームをしたり漫画を読んだりしている方が面白い。でもそれだけじゃ足りなくて、もっと触れたい、俺だけを見て欲しいみたいな欲がある事に気がついてしまって、それ以来俺はずっと颯真に片想いをしている。
 そして片想いを胸に押し込め、決定的に颯真と距離を置くようになったのは、今年の夏からだったのだが――。

 男が男を好きになってもいい時代であることは分かる。恋や愛に性別なんて関係ないと、世間は言う。
 けれど繊細で不器用で腫れ物みたいな思春期真っ最中の子どもだった――いや、現在進行形でそんな状態の俺には、颯真に告白する気概なんてあるわけがなく……。

(もともと明るいイケメンの颯真と、地味で目立たない俺だしな。釣り合わないんだよ)

 とはいえ、俺は颯真への想いを断ち切れていたわけではなく、現在の高校二年の冬になるまでしっかりと引きずっていた。だからこのルームシェアは、嬉しくもあるが苦しくもあった。

 昨晩目に飛び込んできた、上半身裸でうろつく風呂上がりの颯真。コタツで爆睡する寝顔。明け方、颯真が寝ている俺の頭を笑顔でくしゃくしゃに撫で回していったことも実は知っているし、胃袋もとっくに掴まれている。

(目の保養っていうか、目の毒! 神様って悪魔だったんだな……!)

 この煩悩をどこで昇華しろというのか。
 家じゃ無理だし外だよな。

 食事をありがたくいただき、身支度を終えた俺は、「じゃあ学校行ってくる」と玄関に向かおうとすると――。

「え?」という表情でコートを羽織っている颯真と目が合った。

「なんで上着着てんの」
「え。送って行こうかと」
「なんでだよ?! お前、公休じゃん。学校に近付くの気まずいだろ?!」
「いや別に?」

 俺が意味が分からないという顔を向けると、颯真も同じ顔をしているではないか。

「オレは少しでも颯真と一緒にいたいよ。お似合いだって、みんなに見せつけてやろうぜ!」

(こ……これが【恋ワズライ】による判断力低下……! なんてヤバい病気なんだ……!)

 だが俺がいくら颯真を心配したところで、こいつが自分の病状の深刻さを理解することはない。恋煩い真っ最中なのだから。

 ◆
 学校までは、バスで15分程度。
 俺と颯真の地元からだと一時間以上はかかるので、それと比べたらかなりいい場所に住んでいると思う。

(でも、颯真と一緒にいる時間が短くて寂しいな……って、思ったりして)

 心の中でそう思うものの、俺は颯真に「お前のこと好きな女子に目撃されてみろ。ヤキモチ妬かれて、俺が刺されるんだぞ」と再三言いまくり、ようやく変装(伊達メガネとマスク)をしてバス停までの見送りという形に収めることができた。

 少々大袈裟に言ったが、可能性はゼロではない。なにせ颯真はかなりのモテ男なのだ。フラれた女子からの脅迫状をもらっているところだって見たことがある。
 まぁ、それにだ。俺みたいなぼっち陰キャとつるんで、颯真が何か言われたら申し訳ない。

 そんな俺の気など知らず、颯真は塀の上に猫がいただとか、すれ違った保育園児が可愛かっただとか、ごくごく平和な話をし続けている。周囲を警戒して歩いていた俺が馬鹿みたいに思えてしまうほどに。

「ぷっ。颯真ってクラスの友達とも、そういう話してんの?」

 耐え切れず吹き出してしまった俺は、普段颯真が一緒にいるクラスメイトたちのことを思い浮かべた。サッカー部のエースやダンス部の部長、学祭のミスコンに出た女子なんかの一軍がレギュラーメンバーだったはずだ。
 颯真が彼らとのほほんとした会話をしているとしたら、なんだか親近感が湧いて来る。

 けれど颯真は「いいや」と首を横に振った。

「テスト勉強してねぇわ、俺の方がもっとヤベーわ! とか。韓国のアイドルの髪型真似してみるか! とか。女バスのマネが可愛いから見に行く? とか。中身なぁんもねぇよ」
「それ言い出したら、塀の上の猫の話だって中身ねーじゃん」
「あるよ。樹、猫好きだろ? オレも猫好きだし」

 いつも教室の真ん中で楽しそうに笑っているように見えていた颯真にも、色々あるらしい。人気者だって人間なのだから、そりゃそうか。一人でいる気楽さを取ってぼっちになった俺にはない悩みが、きっと颯真にはあるのだろう。

(療養中は俺と緩い会話してたらいいよ、颯真)

「……猫な。好きだよ。社会人になったらアメリカンショートヘア飼うって決めてんだ」
「いいな、アメショ! そしたらオレ、樹ん家に住むわ。一緒に猫の世話する! 大人になってもルームシェアしようぜ!」
「ばーか。猫目的のルームシェアってなんだよ」

 俺は、エア猫を抱きしめる颯真を呆れた顔で笑い飛ばす。
 もっともっと颯真と二人で他愛のない話をしたい。

 だがそこで最寄りの停留所にバスが来てしまい、俺は「行ってくる!」と手を振りながら駆け出した。
 ふざけてウインクしている颯真が愛しくて、胸が苦しい。

(神様ありがとう。高校生活の中で一番浮かれた通学路だ……)

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