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「悲しみのペンダント」を首にかけて

今年の5月だったと思う。毎週火曜日、21時からFM COCOLOで放送されている音楽ライター森田恭子さんのラジオ番組「おとといラジオ」で、リスナーさんから届いたお便りに対し森田さんが掛けた言葉を、私は思わずメモに残した。その日、番組では、昨年11月に亡くなられたKANさんの特集をしていた。関西地方に住んでいた中学生の頃、ひょんなことがきっかけでKANさんのラジオを聴いていたので、KANさんは当時の私にとって実は身近なミュージシャンのひとりだった。

絶対に治ると信じていたKANさんが旅立ってしまい、その数週間後にチバユウスケまで…。いや、彼ら以外にも多くの人が亡くなった昨年、チバの訃報で遂に止めを刺されてしまったような気持ちになった。

番組を聴いた時、私は、チバユウスケのトリビュートライブが開催されたアラバキロックフェスの様子を知った後で(勇気がなくて観に行かなかったけど、SNSで会場の状況を追い続けていたので)、落ち着いたと思っていた喪失感が再び湧き上がり、どうしようもない状態に。でも、あの日の森田さんの言葉を聴き、受け止め方を変えてみようと思えた。

お便り
「キヨシロー(忌野清志郎)さんが亡くなられたとき。どのように乗り越えられましたか?」

森田さん
「私のなかでは乗り越えるというのはない。(ミュージシャン、家族をはじめこの歳になるとたくさんの人を見送るようになる、という話から)乗り越えるんじゃなくて、引き受けることにしている」
「悲しいも寂しいも引き受けて、ずっと辛いけど、その人がそれでもずっと自分の中にいるから辛いんだ、という気持ち。その人がずっと自分の中にいるようになるから、ずっと一緒にいられるような気持ちにもなって、そういうペンダントをかけているというか…」

私にとって好きなミュージシャンは、(当然のことだが)家族や仲の良い友人のように実際の距離が近い人ではない。けれど、精神的な距離感となれば、そのミュージシャンが作った音楽は、時に家族や友人以上に近くなる瞬間が訪れる。だから、救われる。救われてきた。私の人生はそれの繰り返しであり、その音楽を作り、奏で、歌い続けてきた人が亡くなってしまったら、悲しいし寂しい。そして「それでいい」と受け入れることで、人は次のステップへと行けるのではないか。

ふとした瞬間に思い出し、暗い気持ちに引き摺られそうになる。だけど、ありがたいことに私は健康で、日常は続いているのだから、日々なるべくいい気分で過ごせるよう努力したい。
悲しみのペンダントを首にかけながら、今を大事に生きていきたい。


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coco
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