GRAPEVINE 「NINJA POP CITY」を聴いたら泣いてしまった話。
7月8日、FM802で初解禁されたGRAPEVINEの「NINJA POP CITY」を聴いたら、泣いてしまった。
都会の夜の街をスリリングに駆け抜けるような疾走感が心地いい、2020年代を象徴するようなオシャレバンドサウンド。例えばこの曲が羊文学やKroiといった時代の寵児達に挟まれたとしても、引けを取ることはないだろう。そして、GRAPEVINEを知らない人が聴いたら信じない。間もなくメジャーデビュー30周年を迎えるアラフィフバンドが作った楽曲であることを。
ただ、不協和音のようなギターを鳴らしリスナーに違和感を持たせ、オシャレ一辺倒にはしない奇妙なアレンジが施されているところにはニヤリ顔。さすがの腕前である。
「NINJA POP CITY」の作曲は、バンドのコンポーザーとして多くの曲を手掛けてきたドラマー亀井亨。相変わらず耳に残るグッドメロディ。作詞はボーカル&ギターの田中和将。サビは<駆抜けろTokyo Friday 世直しのParty Night>。パッと聴いた感じでは、日本語と英語の組み合わせることでオシャレ度アップさせるなどして、持ち前の語彙センスを炸裂させているが、全体を通して聴くとなんとも苦笑いな社会風刺。最近の曲では「雀の子」がとんでもない筆圧の強さだったが、忍者も負けず劣らず。<お代官屋敷で豪遊 曲者じゃ出あえ出あえ>って、何をどうしたら出てくるんだ、こんなフレーズ(笑)。
昨年発売されたアルバム『Almost there』 は、私にとってイレギュラーなアルバムだった。
とにかく1曲1曲を聴くことにエネルギーが必要。アルバム発売前に「雀の子」「Ub(You bet on it)」が先行配信されたときだって、聴くまでかなり身構えていた。それは、かつて転職活動中に経験した気が重い面接の待ち時間の時のような重たい緊張感と似ていた。
そして、そんなこんなで発売日を迎え、手に入れたアルバムをいざ聴いてみると「なるほど」とか、「う~ん、そうか」と、意表を突かれたり、安堵したりで、他のアルバムのように1周目、2周目と繰り返し聴くことができなかった。いつにも増してストレートな表現が気になる楽曲が揃っているだけに、逆に素直に聴くことができず、このアルバムを引っ提げ開催された全国ツアーには参加したが、以前のように地方遠征をする気分にもなれなかった。
2023年はGRAPEVINEにとってリハビリ期間でもあったと思う。そして「果たして、今後GRAPEVINEが歌っていくものを、信じることができるのか?」と言う今まで感じたこともなかった疑問と常に向き合い、完全にわからなくなっていた時期を私は過ごした。私生活と音楽を結びつけるのは違うような気もするけれど、重たい腰を上げられなかったのはあの件も関係していることも事実。
でも、振り返ってみるとそれだけではなかった。私にとっての2023年は、コロナ禍や自身の体調不良を経て、気づけば会社員としての立場が変わったことを実感せざるを得なかった年。責任が増えたことによって、好きなものを思い切って楽しむ心の余裕が確実に減っていった。常に仕事が頭にチラついていた。
しかし、チバユウスケが亡くなり、好きなものはいつまでも好きでいようと決めた。それでも、擦り切れてしまった心を復活させるためには、ライブに行けば一発で立ち直れた20代とは大違いで「メンテナンス」が必要になってきた。だから、今年の3月に行われた昨年のツアーの追加公演には行けなかった。仕事の繁忙期と重なりライブどころではなかったから。
今の職場にいたら将来的には役職がついて、きっともっと忙しくなる。仕事を続けてキャリアを積んでいくとは、そういうものだと理解しているけれど、日常生活のバランスをどうやって取っていけばいいのだろう?とかなんとか漠然とした不安にのまれ、混乱状態が続いていた。それはまるで出口のない迷路。逃げ出せるものなら逃げ出したい。あぁ、もしやこれがミドルエイジクライシスというものなのか…。
そんなときだ。「NINJA POP CITY」を聴いて、泣いてしまったのは。
聴いていくうちに、なぜかこれまで観てきたGRAPEVINEの数々のライブのいろいろなシーンが走馬灯のように甦ったのだ。
私はGRAPEVINEをデビューした直後ぐらいから知っている。
当時、高校生だった私は、カッコいいバンドの曲をいち早く知りたい(聴いてみたい)一心でいたが、その後30年近くの長い付き合いになるなんて当時は思いもしなかった。大学時代には私は彼らのコピーバンドを組むことにもなり、人生の宝物のような時間を過ごした。つまり、私が彼らの曲を聴きライブに行く理由は、あの頃の懐しさを忘れたくないからだと思っていたが、もはや、私の人生は学生時代ではない時間の方が圧倒的に長い。
では、改めて考えてみる。私がGRAPEVINEを聴き続ける理由って何なのだろう?
それは、GRAPEVINEが常に新しく刺激的な音楽の世界に連れ出してくれるからだ。GRAPEVINEが、GRAPEVINEであることに(決して表向きな態度で示すことはないが)プライドを持っていて、まずは自分たちが飽ないようにと日々努力し続けている姿に憧れ、それが曲からも伝わり、巡り巡って私の原動力になっているからだ。
バカみたいに励まされてきたのだ。聴きながらハッとした。彼らの曲があまりに身近すぎて考えたことなどなかったけれど「目を醒ませよ!」と、頭の上からバケツいっぱいの冷水を掛けられたような気分になった。
正直「昔の方が良かったよね」と思う長年活動しているバンドが私にはある。でもGRAPEVINEは「昔も今もどっちも良いよ」と言える唯一のバンドかもしれない。
バンドは人間が作るもので、メンバーそれぞれに人生の選択や、生活があり、続けることが困難になる場合はもちろんある。だから、バンドは生き物と言うように、続けることが全てではない。
それでも、あらゆる困難を乗り越え、続けてきたからこそ見える景色や、手に入れられる自信も信頼も確実にある。
そういうものに今のGRAPEVINEは溢れていると思うのだ。