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作品というのはやっぱり作り手の意図があって思考があって希望や絶望が詰まっている。





私はよく改行をする。
きっと空間としてみてるからだ。
noteで描くとその改行も文字数として扱われてしまうからそれだけ文字が多いと見えるのだけど、実際はただの『空白』である。空白が好き。
でもこれをただの文字稼ぎにみたいにされてしまったことがあった。
何故この"間"が必要なのかを考えてみると、わたしは言葉を描くときに読みながら描いているからだと思った。みんなそうかもしれないけど、まるで読み聞かしをしているほどに、物語と物語の間を空けてゆっくりと朗読をするイメージで描いているからだと思った。
だからこの拙い空間処理能力を、言葉をどうか見守ってくれると嬉しいなと思いました。






『ここにいさえすれば承認欲求は満たされる。せっかくの心地いいぬるま湯の中に自分の知らない知識を持った好奇心旺盛な人物が入ってきたら全てが台無しになってしまうということだったのかもしれない。』


集団で、自分たちの価値を認め合う。
自分の知識をおおっ広げにして、なるほどなどと相槌を打ちながら"誰も聞いていない現状"よりも『ただ自分の承認欲求が満たされればそれでいい。』の時間を過ごすために集まりたいということらしい。
それはそれでいいと思うけど、わたしもきっと後者の"好奇心旺盛な人物"に当てはまるだろうからきっと煙たがれるだろうし、何の議論?ってなってしまうんだろうな。何が欲しくてここに来たの?って一人一人に聞いて回った方が面白い統計が取れそうだなとか、勝手に自分で踏み入れただけの世界に"裏切られた"と感じて、そこにまた期待した自分に怒りを覚えながら早々に帰るのだろうな。自分はそれをわかってて来ました!とまで潔くいたいものだ。
最近Instagramにもやたらと出てくる広告とか、"それっぽく"見えるものが本当に増えてきた。
今だけ○円!無料!ここまでの実績を積んだあの有名インフルエンサー直伝!なんちゃら、とか。
捻くれてる私だからなのか、こういうのは振り込め詐欺みたいに感じてしまう。だから情報の取捨選択をするためのフィルターの精度を上げないといつまで経っても自分の欲しい情報(真実)には辿り着けないんだと思う。どんどんぼやけていく。ぼやかされていく。そんなものを感じる。
一万円で受けれる勉強と一千円で受けれる勉強。
どこに時間とお金を費やせば、自分の欲しい情報が手に入るのだろう。どこに価値が置いてあるのかを探って、どこがこのセミナーのターゲット層なのだろうとか、この"精度"の上げ方まではきっと誰も教えてくれないもので自分で培うしかないのである。
結局"知識"ばかりもてはやされて終わり、みたいなのも沢山あるだろう。学校の授業とかは本当につまらなかった。確かに技術は重要だけど、じゃあその技術は誰にどこにいつ必要なのか、自分が今どの段階にいてどの情報が自分にとって最適なものなのかを判断できる材料になるのだろうか。
"知恵"は備えなければならない。
自分の検索エンジンから紐づいて関連している広告となれば尚更、クリックする情報というのは選ばなければならなくなってしまったものだと思う。そもそも"AIに任せようよ"はとても便利だけど何だか息の詰まりそうな、この感じはただ私の"考えすぎ"なのだと思っていたい。


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