見出し画像

純でいる強さ、弱さを曝け出せる純。


どこへ落ちるのかもわからないまま、数えきれないほどの雨粒がぶつかり合い消えていく。腕に落ちてきた雫を見て、なんだかすごく胸がぎゅっとした。


せっかく今日こそは!と思った日に体調がすぐれない。
重たい雲と突然の不安気。雨が降る前のグレー。ずっと眠い。そういう時期かと思い過ごすしかない。
言葉を書くことで、わたしを確かめている。
ぼやけていく現実の中をずっと走り続けていた。無我夢中に前を見ることなく、ただ走らなきゃいけなかった。
「走らなきゃいけなかった」という表現が嫌いなひともいるだろう。わたしもそうだ。そうだった。でもこれは自分で自分を苦しめていたことを思い出せるし、それがわたしの唄う理由だったんだと思うから、そのまま置いておいてある。その一言にたくさんの想いがこもっている。


「ひとを惹きつけるひと」というのがとにかくステージに愛される。そこに立っていることが似合う。何をしてもそこでは赦されるというか。不思議なパワーをたくさん見てきました。
でも一緒にその日ライブに立つわたしにそんな余裕はなくて。とにかく気が緩まないようにいろんなひとを睨め付つけるように気を張りながら、なんでこんな裏ではださい人が人気なんだろうとか人と自分を比べることばかりして、かっこ悪い、言葉に出したくもない言葉をこころに溜めるようになった。こんな悔しい気持ちを気にしない、感じなくなるくらい、どんといれるようにわたしが強くならなきゃ!と気持ちを練り直すけど、どうしてもうまくいかないことが多かったと思う。(今思えば不器用すぎるのですが)そして切り替えがうまくいかないままライブに立ってしまう日もありました。
できるだけストレスのない生活。身体にもこころにも。その大切さは今ならわかるけど、当時は本当にそこでいるだけで精一杯だったように思います。唄だけに集中のできないまま唄うことは自分自身への不信感、汚いと思うようになり。簡単に唄うことができなくなっていきました。

だけど今のわたしは昔よりも目の前の現実を「歩いている」感覚になれている。このnoteにずっと書き溜めてきた苦しみや、悲しかったこと。頑張りたいのにがんばれないとか。楽しかったことも書いてきたつもりではあるけど、どちらかといえば負のパワーからわたしの声は言葉になっていて、それがひとの温もりや、やさしさを感じさせてくれている。
劣等感や嫉妬、怒りや憎しみからはほど遠い、おだやかであたたかいゆっくりした時間を大切に過ごしたい。そうやって自分の意志で空間を創ることで自分自身を癒せる、創れるものなのだと思いました。そう思うと創るという芯がまた一段とクリアになりました。

ステージに立つと一挙一動が見える、見えすぎる。間合いや距離感、その空間。組み立てるのか、壊すのか、また一からやり直すのか、ひとそれぞれのかたちがあって決まりはないしどんどん変わるものだと思う。
その目に見えない何かをどうやって見せることができるのか。「つくられたもの」ではなく今日、このときこの瞬間をどれだけみんなで一緒につくることができるのか。
純でいる強さ、弱さを曝け出せる純。たくさんの純が詰まったライブがしたい。こころが高まってきました。
それだけ純粋に音楽を想っているからこその今の足踏みなのだと、自分を褒めてもあげてみます。
どんより雲が多い雨の日。気分がすぐれないときに落っこちすぎないように書き留めます。(でも時には落っこちていく日もあっていいと思います)


ここから先は

167字
裸足が好きです

白よりの藍

¥500 / 月

日記のような、詩のような、形のない言葉たちを自由に描いてます

世界でたった一人の自分で在り続けること 頂いたサポートは創作活動への励みにさせて頂きます。見て下さりありがとうございます。