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言葉なんて、どうでもいいよ 掘って掘って聞こえるのはいつもそんな言葉だ


言葉なんて、どうでもいいよ
掘って掘って聞こえるのはいつもそんな言葉だ
『伝える』という手段の方法が変わってきている
テレビや新聞、雑誌→SNS
どのプラットフォームを使うかというのも人間関係に影響しているほど依存している
小さな、閉鎖的な空間で見ているもの
その空間を『作る』側に回ると物が流行る、売れるという何層もの構築されたレイヤーが組み立てられていて、仕組みと構造が見えてくる
一面にしか見えてないものが、実は奥行きがあって何面も隣り合わせにしている多面体で、例えその一面しか知らなくとも多面体だと知ろうともどちらでもいい、という感覚
例えばわたしはそれを赤くてすべすべしている三角形に見えた
でも違う人はそれを青くてざらざらした四角柱だという
自分がいくらこだわったって、時間をかけたって、死にそうなくらい気持ちを込めていたって、伝わらなきゃ、伝えようとしなきゃ意味がない、のだそうだ
勝手に楽しくやってるから、こっちにおいでよ〜くらいがちょうどいい
伝えることが、すべてではない
そこで悲しくなって、立ち止まらなくていい
"違くても"肯定してくれる、ひとそれぞれ感じ方があっていいじゃん!踊ろう、叫ぼう、立ち尽くそう、泣いてしまおう、声を出して笑おう、というのがわたしにとっては音楽で、求めている自由
今、自分がしたいことを解放していいと感じさせてくれる音楽作りをしたい
『創作する』ということだと思う
だから『すべてをわかってくれなくてもいい、だけどどこか寂しい』が一生続くのだと思う
他人を100%理解するなんて無理だよ、というのは謙遜した意味では真実だけど、本質ではない
寂しい、わからない、そういうマイナスな感情をどうにかしたくて、結ばれたがるし、繋がりを求める
ひとはひととしか結ばれないなんてことはないだろう
自然や動物、この世に見えるもの、見えないものもすべて
約束しなくとも、そばにあると思えばそこにはきっとある
自分を『信じる』がどうしても難しいときは、あなたが信じてくれたわたしを『信じる』だ
伝えたいことはないけど、唄ってる
意外と本質なのかもしれない
ないと言い切るのは少し違うけど、わたしのどうにもできない感情が唄うことで吐き出せて、嬉しい、生きている、をやっと感じれる喜びを、悲しいが落ち着いて、涙に変わる瞬間を
あなた自身のどうにもできない感情で、ぼやけている世界が少しでも晴れていってくれたら嬉しい、のニュアンスというか
誰かにその唄が必要とされるのならそれほど嬉しいことはないけど、やっぱりわたしは自分のために唄っているというのはこの先も変わらないのだろうなと思う
どこかへ飛んでいかないでと




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裸足が好きです

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