【フランス生活】インディアン・サマー
フランス人にとって、バカンスは「命の水」とでも言うべき存在だ。夏の二週間ほど、彼らは旅に出る。行く先は様々だが、渚へ向かう人が多いように思う。産卵する鮭が川の上流に向かうように、フランス人は海を求める。老若男女、みな水の中へ飛び込み、喜びの泡に包まれる。塩辛い水を浴び、ひかりが波間をたゆたうのを眺める。
九月の二週間、アランと彼の従兄のグザビエ、そして私というおなじみのメンバーでコルシカ島を旅行した。リヨンから南仏のトゥーロンまで車で四時間半。そこから船に揺られてさらに八時間。およそ半日かかってやっと辿り着く。
今回訪れたのは北部にあるボルゴ(Borgo)という小さな街だ。九月とはいえまだ暑く、強い陽射しを浴びていると頭がくらくらするほどだった。朝起きてシャワーを浴び、朝食を済ませたころにグザビエが起きてくる。彼は起きるなり意気揚々と浜辺へ向かう。夫と私も少し遅れて海へ行く。
海に飛び込むと躰中の細胞が生まれ変わるような気がする。マスクをつけて水中を覗くと、そこには様々な生物が息づいているのが見える。足裏をくすぐる海草や、小さな魚の群れ、さわさわと動くウニ。そしてふと気づく。私もここに生きている生命と何ら変わりはないのだと。
泳ぎつかれると家に戻って軽い食事をし、午後には車で街を散策する。ドライブ中、よくウエストコースト系の音楽を聴いていた。窓から吹き込む風と熱いビートが、私の躰を心地よく打ちのめす。椰子の木がすごい速さで視界を横切っていく。コルシカ島には何か不思議なエネルギーが満ちていて、それは私を圧倒する。文字通り声も出せない。よく後部座席で放心していたので、アランもグザビエも私が居眠りしていると思ったらしい。
私たちはバスティアやエールバルンガ、サン・フロランといった街を散策したり、時にはレストランで食事をしたりした。どこに行っても必ず海が見えた。海は無口な友人のように、陽射しを浴びてひっそりと輝いていた。
ある日、いつものように泳ぎに行くと、アランが突然水中で声を上げた。踵のあたりに痛みが走ったと言う。クラゲだろうかと思ったが、そうじゃないと夫は言う。クラゲに刺された時の痺れるような痛みではないと。間もなくその正体が明らかになった。蟹だった。それはやや大きめのコッペパンくらいのサイズで、鋏を振りかざして仁王立ちになっている。人間を恐れるどころか、ひるむことなく立ち向かってくる。
「この野郎!」
アランはその蟹めがけて水中に飛び込んだ。躍起になればなるほど砂ぼこりが舞うので、探索はますます難しくなる。彼はその日の午後いっぱいを蟹の捕獲に費やしたが、とうとう見つからなかった。
後で調べたところ、それはどうやら渡り蟹だったようだ。フランス語では「クラブ・ブルー」(crabe bleu)と言い、「青い蟹」の意味である。
「本当に生意気な蟹だったな。捕まえて食べてやろうと思ったのに」
その日の夕食の際、アランは悔しそうに言った。
グザビエは何も言わず静かにグラスを傾けている。彼は日頃から口数が少なく、無駄なおしゃべりをしないのだ。
沈黙が星のように降ってくる。聞こえてくるのは、低音で流れているオーティス・レディングの歌声とこおろぎだけだ。
日頃おしゃべりなアランも口を閉ざす。
「家に戻る頃にはずいぶん涼しくなっているだろうな」
としばらくしてアランが言う。
夏が好きなグザビエはやや不服そうに言う。
「ここ数年は、秋といっても暖かい天気が続いている。今年もきっとそうなるだろうよ」そのような穏やかな秋の気候のことを「インディアン・サマー」と呼ぶのだそうだ。
夕食が終わると、私たちは浜辺に散歩しに行った。ベンチに腰かけ、持参した小型スピーカーで音楽を聴いた。夜風が涼やかに吹き、空には星が瞬いていた。それは街では見られない種類の純粋な輝きだった。ひとつひとつの星が物語を語っているように見えた。
タラールに戻ってからも躰の奥に波のリズムが漂っていて、それはしばらく消えなかった。午睡をすると白い泡の中に引き込まれるように眠り、目覚めると自分がどこにいるのかわからなくなった。コルシカ島の海は、まるで過去の恋人の亡霊のように私を抱きとめて離してくれなかった。
散歩に出かけると、水色の空にすじ雲が浮かんでいた。透明な陽射しの中を、人々がおしゃべりしながら楽し気に歩いていた。グザビエの言った通り、今年もまたインディアン・サマーになりそうだ。
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