#蝦蟇口は狂気と偏愛の塊
コロナ禍がきっかけで蝦蟇口作りにどっぷりハマり、ほぼ狂気の如く作り続けて一年半が経過しました。
一度ハマるととことん極めたくなる性分なのか、修行と称して技術力を磨き続けた結果、おかげさまで作品のクオリティもずいぶん高まってきました。
↑マガジンにこれまでの経緯をまとめています。
最近では、寝ても覚めても蝦蟇口のことばかり考えていて、まさに「偏愛」といえます。自ら作り上げた蝦蟇口はどれもこれも可愛くて仕方がない。
改めて「偏愛」の意味を調べてみました。
〘名〙 かたよって愛すること。特定の人や物事を特別に愛すること。また、その愛。〔文明本節用集(室町中)〕
※現代文明を評し,当来の新文明を卜す(1915)〈中沢臨川〉二「極度に精神を疎んじ物質を偏愛する一種の変態文明」
物質を偏愛する一種の変態文明
↑偏愛は一種の変態文明とか、パワーワードすぎるな。
私が幼少期から偏愛しているのは「カエル」です。実家でアルバムを漁っていたら出てきた写真、ちょうど2〜3歳頃の私が座っている椅子が「カエル」の椅子でした。
たまらず、カエルの椅子をGoogleで検索してみました。
これこれ!この赤いカエルの椅子!懐かしすぎる!
浮かれて検索しまくっていたら、メルカリでミニチュアのカエル椅子が出品されていたので、衝動買いしてしまいました。
カエル愛が過ぎる、こういうところが偏愛なんだろう。
カエルを偏愛する延長上に「蝦蟇口」があるのだと思っています。「蝦蟇口」もコトバンクで調べてみました。
口金がガマ(蝦蟇)の口のように開くところから〈がまぐち〉の名がついた
長年カエルを愛する私にとって、手芸の中でも蝦蟇口にハマったのは必然でした。というか、もう完全に刷り込まれていました。
自らの手を動かし、試行錯誤を繰り返し作り上げることができるというのがたまらない。
最近では、職業選択誤ったかもしれんと思うぐらい、蝦蟇口作りに没頭し続けています。
情報に溢れる時代だからこそ、ひとたび生まれた”偏愛”はどこまでも加速し、終わりなく深まっていく。
「人間がすべきことは何か」が問われ、「暇といかに向き合うかこそが重要なテーマになる」とも言われるこれから先の未来においては、「偏愛」はますます大きな意味や役割を持つことになるかもしれません。
コロナ禍でステイホームせざるを得なくなった=暇といかに向き合うかということで、元々持っていた「偏愛」要素が爆発したのだと思います。
自分の狂気に目覚めて、
ひたすら何かにハマり続けていると、
ただそれだけで、無条件に楽しいのです。
これからも、狂気と偏愛の塊である蝦蟇口を作り続けます。
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