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ある田舎の野球少年が中学受験でエスカレーターの付属校に合格するまでの話①

はじめまして。

千仙と申します。

私は冬になるといつも受験の時のことを思い出します。と言いましても、私が受験をしたのは、唯一、小6の時に中学受験をしただけ。

しかし、その後の人生に大きく影響を与えたことは間違いないので、誰かの参考になればと思い、その当時のことを書きます。

まず、受験するきっかけですが、中学受験の場合、これは親しかないでしょう。
家庭の教育方針がそうだったとしか言えません。

10歳そこいらの子供が「将来のために、〇〇の学校に行きたい」なんてことはまずありえませんし、あったとしてもそれは幼少期からの親の洗脳でしょう。

私の場合、小学校に入る前から公文式の教室に通い、幼稚園の段階では九九ができるレベルでした。
この段階で、周りよりは数段賢いという認識は幼いながらありました。
小学校低学年で四谷大塚のテキストなり、模試を受けた気がします。

本格的に受験のための塾に通うようになったのは、小学校4年のときに日能研の模試を受けてからになります。国語と算数の二科目を受験し、算数は8割、国語は6割の点数だったと思います。
その後の講師の評価で、算数は一番上のクラスに入れる能力だが、2科目合わせると上から2番目のクラスの上位といった成績であると説明された記憶があります(もちろん説明を受けたのは親ですが)。

だいたい最初の成績はそれくらいでした。

さて、当時の私は小学校2年の最後から、地元の少年野球チームに所属しており、土日は野球の練習に励むといった日々でした。

そのチームは特に競合というわけでもなく、そもそも過疎化が進み始めている田舎の小学校チームなので、チーム全体でも20人弱といった程度です。
小1はいなかった記憶があるので、小2~小6までの5学年でその人数なので、一学年平均4人という計算になります。

現に私が小4のときは、小6の代が2人しかおらず、残りのレギュラー7人は小4の私の代で占めていました。(私の代は人数多かったです。)

こんななか、中学受験を目指して小4から塾に通うことになるのですが、そこからは塾と少年野球とのWワークの日々です。

といっても、最初のうちは塾も週3程度だったと記憶しておりますので、そこまで気にならなかったです。

本格的に塾の方を少年野球より優先させなければいけないようになったのは小5の夏季講習あたりでしょうか。

このくらいになると、ある程度塾も本格化し、受験に向けた講習や模試というのも多くなってきます。

ここから私の生活は一変していきました。





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