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無資格カウンセラーと呼ばれて①~先人からの尊き教え

走れ!【フリーカウンセラー】

夜中にふと目が覚めてついTwitterを見たら「資格のない人はカウンセリングできない」的なツイートを読んで、こころがざわついたので整理してみます。
少し感情的になるかも知れませんが、世間で言う“無資格カウンセラー”として代弁させてください。
決して正当化するつもりはなく、偏りも拘りもなく書けたらいいなと思います。

カウンセリングはだれでもできる

これはわたしが長年抱いている信念です。
わたしが心理に興味を持ち始めたのはおよそ15年前、看護師歴8年の頃。
当時はこころの専門家として臨床心理士しかありませんでした。
あとは民間団体にお金を出して受講したらもらえる資格(でも臨床心理士も正確に言えば民間資格)くらいで、今さら心理系の大学を出て院まで行くお金も時間もありません。

臨床心理士しかカウンセリングできないのか

そうなるとできる人は限られてしまいます。
果たして現実的にそうなのか…?

河合隼雄先生

もうお亡くなりになられましたが、わたしのカウンセリング入門は河合先生の本でした。
心理学のユング派で日本に初めて箱庭療法を導入された敬意すべき方。

なのに本に書かれている文章を読み進めると、まるでじぶんがカウンセリングを受けているかのようにあたたかい気持ちになるのでした。

「うん、うん、とただうなづいて話を聞いていてもクライエントは変わる」

確か、このような意味合いの一文がありました。
切り取った一文だけで「話を聞いてればカウンセリングできるんだ!」と見きり発車したわけではありません。
少なくともじぶんの経験上で共感することがありました。
それは看護師として臨床の現場で、友人としての社交場で、話を聞いて人が変わる場面を何度も見てきました。
逆にじぶんも気持ちを言葉にして話すことで救われたこともあります。

生活のなかにカウンセリングはある

精神科を受診して、何らかの精神病の診断を受けないとカウンセリングできない。
開設されたカウンセリングルームは専門性と信頼性はあるけど、高額なのでハードルは高い。
もっと身近なところにカウンセリングする機会があってもよいのではないか、と思うようになりました。

それをわたしがすればいい

例えば

瀬戸内寂聴さん

この方もお亡くなりになられましたが、今でも著書や功績は残され生き続けています。
瀬戸内さんはカウンセラーでもなく、カウンセリングをしたわけでもありません。
瀬戸内さんに話を聞いてもらえる、それだけで救われた人もたくさんいらっしゃったのではないでしょうか。
どんな優秀な大学・院を出ててカウンセリング経験も豊富であっても、知名度は瀬戸内さんには断然かなわないのです。
かと言って、瀬戸内さんのように人格者でないといけないわけでもありません。

じゃあ、ただの話を聞く【相談】でよいのではないか

そんな言葉も聞こえてきそうですね、当初はわたしもそう思ってました。
でも【相談】となれば【助言】がついてきて、どうしても頼ってしまう“他人任せ”なイメージです。

自己効力をあげること

これはカウンセリングに限らず対人支援において、わたしが気を付けていることです。
ただの話し相手ではじぶんを変えようとしませんが、カウンセリングはじぶんを知ることでじぶんが変わり、結果にたどり着きます。

「だれかに悩みやもやもやを聞いてほしい」と思って相談してたのに、話した後「あぁ、じぶんってこんなこと考えてたんだ」とか気付くことがあったりしますよね。
これは話をするなかでじぶんの考えが整理されたり、感情的になっていたけど客観的にみたら違う側面がみえたりすることもあります。
そこに気付いてもらいたいから、

【相談】ではなく

あえて【カウンセリング】なのです。

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お付き合いいただきありがとうございます。
ここまでは「心理系の資格を持っていないわたしがカウンセリングをしようと思った理由」を書きました。
話が長くなりそうなのでこの記事は1部として終了します。
次回は「無資格でカウンセリングをするメリット・デメリット」を考察しようと思います。
よければそちらも覗いてみてくださいね✨


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