人生を操縦しているつもりだった。
私の身体には「子宮筋腫」がある。
人によって対応はいろいろだと思うが、私の場合下腹が若干でているくらいで日常生活に支障もないので特に何か治療をするわけでもなく「経過観察」が続いている。
筋腫に気づいたのは、4〜5年前のこと。
整体の先生に「なんか、お腹の感触がおかしいよ」と指摘され、病院に行って診断を受けた。全く気付きもしなかった。
「こんな感じね」とお医者様にエコー(超音波画像、っていうのかな?)で筋腫の状態を見せられた時、実に不思議だった。
私の身体の中にこんなことがおきていたとは。
全く無自覚のうちに直径10cm以上のまーるい物体を、長い時間かけて私の身体は作っていたのだ。
筋腫はある種の「細胞分裂」の異常なのだろうけれど、いつ、どうしてこの箇所で「異常」な分裂が始まり、また「異常な分裂」が続いていたのかさっぱりわからない。
「私は私の身体を思うように作れない。コントロールすることは不可能」という、
ごく当たり前のことを、改めてしみじみと感じたのだった。
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カラダだけではない。
考えや感情も私の自覚のないところで勝手に生まれて、勝手に消えていく。
悩んでいるときに「こんなこと悩んでも仕方ない」と思っても、考えが続々と湧いてくる。ある瞬間にぱたっと消えることもある。
こんな自分になりたい。あんな自分にはなりたくない。
こういう人生を送りたい。ああいう人生はいやだ....
そんなふうに、自分の意思で自分の人生をそれなりに作ってきたような気もする。けど、その「意思」だって、一体どうおきたのか、わからない。
ドライブにたとえると、「私の意思」で、休憩をとるペースや、ナビを見直している...みたいな感じでドライブ全体を「私が」作り上げているつもりでいた。
けれど、「休憩を取ろう」「ナビを見直そう」といった意思が生まれてくることそのものは、どうやっておきたのか全くわからない。
自分の人生をそれなりに操縦してきたつもりだった。
が、それは「つもり」なだけだったのだなあ...と今思う。
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そう思ったら、「なにをそんなに、一生懸命になってきたのだろう」と力が抜けた。
といっても、その一生懸命すら、自然発生的におきてしまっていただけのこと(笑)。
自分自身をコントロールすることはできないんだなあ、とわかったら、あんまり自分に対して真剣にならなくていいなあ、と思えるようになった。
だってコントロールしようとしている「つもり」すら、コントロールして生まれたわけではないのだから。
「自分」という感覚が伴うもの(思いや、身体や、感情もろもろも含めて)が変わっていくのを、ただ経験していく、ほんとうに、それしかできない。
どうしようもないのだ。
空が晴れたり曇ったり、雨が降ったり、川が流れたりするのと同じように
ただ、「自然現象的」に「わたし」はうごいている。
そして、みんなも。
人生のつらいとき、わたしたちはよく我が身の境遇の不運を恨む。境遇を恨みながら、心の奥深くでほんの少しだけれどもその境遇に対して対処する力のない自分自身に嫌気がさしていることがある。
けれど、「自分」も「自然現象」なのだから、ただ「自然」にまかせるしかない。それでいい。
ま、そんな感じで、「自分」がなにをしでかすのか、毎日楽しみでもあります。
今日の一言
だれもあなたをコントロールしていない。あなた自身ですらも。
今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。