投票に行かない(ココロの)理由 ー「推し」がないのはなぜ?。

今日の投稿は昨日の続きです〜。
昨日「投票に行かない理由」を投稿したあとで、もう一度考えてみたんですよ。


若い人たちの投票率の低さの理由は
なにかもっと違うところにあるのかもしれないと、ふと思う。

自分でこう書いたんだから、たぶんなにかアイデアが自分のなかにあるのだろうなと思いなおし、もう少し「こころ」という視点で考えてみました。

「推し」がいない!

私も個人的には、若い人たちにも投票に行くことをオススメしたいです。が、その気がないのなら、今すぐ行かなくてもいいとも思います。理由は、投票に行くには、それなりに「生きる姿勢」というこころの準備が必要だからです。

投票に行かない一番の理由として考えられるのは、「推し」がいないということですね。「推し」がいれば、当日だろうが、期日前だろうが投票に行くでしょう。
そうするとどうして「推し」がいないのか、です。

自由を使いこなすのが不得意。

選挙というのは
自分の代わりに
私たちが生きている場所や環境を
より幸せに生きることができるように
変えていく仕事をする人(託す人)を
私たちが選ぶ機会です。

機会がある、ということは、そこに自由があるということです。

日本国民、18歳以上だったら、手にしているこの自由。
仕事がうまく行かなくて、まったくお金がないとしても、
心身の調子がすぐれなくて、まったく思うように動けないとしても
等しくあたえられている自由です。
その存在を忘れてしまうくらいに、空気のように当たり前になっている。

だから、使いこなすのには、たぶん時間がかかるように思います。
というのは、
自由を使いこなすには、「自分がどうあるか」が問われるからです。

投票に行かない人の多くは信条や地縁などの「しがらみ」から自由になっている人たちでしょう。「しがらみ」がない、つまり「自由」ゆえに、何をどうするかは自分が決めなければならない。

結構、面倒なんですよね。
特に「自分がどうしたいか」が見えないときには。
自由の中で、ぼーっと佇む、みたいなね。

だから「推し」も決まらない。

生き方が決まれば、あとは有能なアシストを探せばいい

「自分がどうあるか」「自分がどう生きていきたいか」「何をして生きたいのか」という自分の生活や人生のグランドデザインがみつかれば、国や政治は自分の人生を創る際のアシスタントになります。

人生のグランドデザインといっても、壮大な夢ある必要は全くありません。「家族と仲良く暮らしたい」「世界のあちこちを旅行したい」「〜〜という仕事をしていきたい」「一生趣味のバンドを続けたい」「年功序列の会社で一生働きたい」...どんなことでもいい。ただ、嘘がないことが大切になります。そうしたら、それを実現するために、自分は何をしたらいいのかがだんだん具体的になることでしょう。それには、どんなアシストが必要なのか。どんな政策がいいのか。誰がいいのか。おそらく見え方が全く変わってくるはずです。

そんな時に、共に歩みたい政治家があらわれたら、その人を支持するという形もでてくることでしょうね。

そうすれば「推し」が決まる。

自分の人生を創るにあたって、どう「政治をする人」を生かしていくのか、が見えてきたときに、きっと「選挙」は身近になるでしょう。

「推し」なしの息苦しさを埋めてくれる「カリスマ」。

「推し」がいない状態は、「生き方」が定まっていない状態の可能性が高いです。日々はそれなりに過ごすことができていたとしても、なんとなく息苦しいところもあるでしょう。

定まっていないのだから、誰になんの助けを求めていいかもわからないかもしれません。自覚もなく、漫然と「生きづらい」と日々を送っているだけかもしれません。

そしてこれは、別に「いまどき」の問題でもないように思います。どんな時代でも自分の生き方を決めることが難しい人たちそれなりにいたけれど、「しがらみ」があったから表立っていなかっただけなのでは、という気もするのです。

自分なりの生き方をみつける方法を知らないだけの人もいれば、もともと誰かの後ろについていくという生き方が向いている人もいるでしょうね(ちなみに、そういう人は「ついていく」と生き方を選ぶ、で十分です)。そう考えると、生き方、や政治に関しても「コンシェルジュ」みたいな人がこれから求められるのかもしれません。

ちなみにこういう時に、強烈なリーダーシップを発揮する人物が彗星のようにあらわれると、「生きづらい」人たちは一気にそちらへ流れ「イチオシ」になります。「この人ついていけば、自分の生きづらさはなくなるだろう」と思わせてくれるような人物ですね。こういう人が現れれば、わざわざ自分で自分の生き方をみつけなくて済みます。そして、時流にのって「カリスマ」となるでしょう。ヒトラーもそんな風に登場しています。

お尻を叩くだけじゃ、動かない。

というわけでまとめると

●若者が投票に行かないのは「推し」がいないから。
●「推し」がないのは、「しがらみがなく」「生き方がみつかっていない」から。政治家を自分の人生の「アシスタント」に位置付けるベースができていない。
●「生き方がみつかっていない」のは、探すことに不慣れだから。(「生きづらさ」から抜け出すことを知らない/できないから)。
●「生き方」を探すのに不慣れな人は、もともとそれなりにいる。
●ただし幸福度は低いので、「生きづらさを解消するよ!」と思わせるような人物が現れると、生き方を探さずに、その人を「イチオシ」にしてしまう可能性が高い。


「投票へいけ」と、投票に行きたがらない人のお尻を叩きたがるみなさん、それは勉強嫌いの子に勉強しろ、というのと同じです。
どうしてやりたがらないのか、それを探し出していかなければ話は始まらない。自分の望む行動をしてくれない相手であっても、水平目線と共感も忘れずに。

今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。。


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じゅんこ (心理セラピスト)
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