2022年2月26日
今日のココ日(ココルーム日記)
今日は釜ヶ崎芸術大学の老舗講座、ガムランの今年度最後の講座日で、締めくくりとしてのミニ発表会があった。
ガムランの講師を務める大阪市立大の音楽学教授・中川真さんは日本でも有数のガムラン指導者だが、釜芸で教えるときに限っては、それまでの指導法を一切諦めることにしたという。
ガムランに参加した釜ヶ崎のオッチャンが、「なんで人に合わせんといかんのや?ワシは人になんか合わせんで好き勝手やるんや!」と言うのを聞いて、「ガムランは皆んなで合わせて演奏するのが醍醐味なんやけどなぁ」と思いながらも、参加する人たちの自主性を最大限尊重することにして、8年間ほどの講座を通し、自由でのびのびとした作品を生み出してきた。
今年の釜ヶ崎ガムランでは、さらに型破りな挑戦として、年が明けるまでガムランをまったく触らずに講座を行ってきた。
「ガムランを使わずにガムラン的な表現を別のものでやってみることで、ガムランとは何かを研究する」という名目で、ココルームの庭にある植物や道具を使って思い思いにセッションしてみたり、夏の終わりに死んだ蝉たちを想って蝉供養をしたり。
そこに参加者たちの戸惑いはあったが、真さんはブレなかった。
いよいよ年も明け、ミニ発表会が視界に入ってきた頃、彼は突然こう言った。
「夢でお告げを見たんで、発表会では皆んなで影絵芝居をやります!」
それを聞いた一同がポカンとしたのは言うまでもない。
影絵芝居をやりながら、ガムランも演奏すんの?
そんなん自分ら出来るんかな?
僕たちは日常的にガムランに触れてるわけじゃないし、前の講座で練習したことを次の講座ではすっかり忘れてるくらいの腕前だ。
ガムランやるだけでも大変なのに、影絵芝居までやるなんて。
真さんの意図が掴めないまま、僕たちは影絵のキャラクターを段ボール紙で作り、ストーリーを考え、一回限りのリハーサルをして本番を迎えた。
「時間旅行」と真さんに名付けられた3部構成の物語は、あるキャラクターが3つの時代の出来事を目撃していくお話だ。
そこにはマンホールの下で暮らす魔女や瓢箪が、通り抜けたら夢が叶うというトンネルの門番を音楽でたぶらかそうとしたり、土砂降り雨を降らす神様と宇宙クラゲや馬や強制労働をさせようとする窓が大乱闘を繰り広げたり、鳥やイルカと一緒に旅をする虎の子どもが悪い風の精を追い払うために太陽と合体してスーパーライオンになったり、最後はおっきな空母が出てきて皆んなで踊りまくったり、それはそれは荒唐無稽な世界が繰り広げられた。
僕は、布の向こうで光を浴びながら自分の赤ん坊を抱き上げ踊る母親のシルエットが幕に浮かび上がったフィナーレを見て、ひとり感無量に浸っていた。
そこには、影だからこそ浮き彫りとなった母親の母性という本質と赤ん坊という生命の本質が映し出されていた。
まるでそれは、この星の命を包みこむ宇宙全体のシルエットでもあるかのように僕には思えた。
発表会が終わってから真さんにそのことを伝えると、「僕の父親は、昔影絵芝居の劇団持ってたんです。僕も小さい頃から一緒に入らされたりして、表現として影絵が出来ることはだいたい分かってはいたんだけど、今日のフィナーレのカオス感は想像を超えてほんとに良かった」と答えた。
夜、ココルームから帰っていく真さんを見送りながら、「ありがとう、いい時間を体験させてもらったよ」とお礼を言って、いつもの挨拶をしようとしたその瞬間、「良い夜を!」と僕が切り出す前に真さんはそう言って、いたずらっぽく微笑み手を振った。
真さんも今日の発表会をやり切って嬉しそうだったことが、僕にも嬉しい夜だった。
(書いた人:テンギョー)
現在、ココルームはピンチに直面しています。ゲストハウスとカフェのふりをして、であいと表現の場を開いてきましたが、活動の経営基盤の宿泊業はほぼキャンセル。カフェのお客さんもぐんと減って95%の減収です。こえとことばとこころの部屋を開きつづけたい。お気持ち、サポートをお願いしています