祈りの深度 (ひとことはなし2)
3月11日。
私の街でも、サイレンと共に、黙祷の放送が鳴り響き、祈りが捧げられた。
あの大震災から11年。月日が経つのは、早いものである。
数年前の同じ日、忘れられない出来事があった。
子供をベビーカーに乗せ散歩していた妻は、自転車をこぐ1人の小学生(おそらく低学年)とすれ違った。
そして、間もなく、今日と同じようにサイレンが鳴り響いた。
黙祷をしていた妻が何気なく振り返ると、そこには、アスファルトの歩道に自転車を止め、地べたに正座をして、手を合わせる少年の姿があったという。
妻は、涙ながらにその様子を教えてくれた。
私は、震災当初、災害救援隊として被災地と関わりを持ちながら、そこまでの祈りを捧げる事ができなかった自分を恥ずかしく思った。
当初の記憶もないであろう小学生の祈りの深度に、他者を思う真実とはどういうものか、教わった体験であった。
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