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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝(98)クリス・ジェリコ

はじめに


今回は、かつて日本でも活躍し、現在は世界のスーパースターとなったクリス・ジェリコ選手のお話をします。

ジェリコ選手は、カナダ出身のプロレスラーで、ミュージシャンや俳優としても活躍しています。

2023年現在はAEWに所属し、世界的なスターとして人気を博しています。


修行時代


クリス・ジェリコ選手は、1990年にプロレスデビューし、メキシコやドイツなどで修行を積みました。

メキシコでは「レオン・デ・オロ」や「コラソン・デ・レオン」というリングネームで活躍し、ティーンエイジのアイドルレスラーとして人気を集めました。

1991年には、ランス・ストーム選手とのタッグチーム「サドン・インパクト」でFMWに初来日し、その後はWARにレギュラー参戦しました。

この時期には、天龍源一郎選手などの日本の名レスラーと対戦し、日本流のファイトスタイルを学びました。


いただいたサイン


私はかつてクリス・ジェリコことライオンハート選手にサインをもらったことがあります。

それは1995年の6月北九州で行われたWAR小倉大会での試合後でした。

その時はメインイベントで冬木軍として、ライオン道の名前で平成維震軍と戦っていました。ちなみに頂いたサイン色紙には「ライオンハート」と書かれていました。


二度目の邂逅


それから2ヶ月ほどして 今度は 山口県の長門市にWARがやってきました。

この時は第1試合で田村選手と戦い、ライオン サルトでライオンハート選手が勝ちました。

リストバンド
ちょうど リングサイドにいた私とジェリコ選手の目があった瞬間、手に巻いていたリストバンドをくるくるっとほどき私の方にポンと投げてくれましたのです。

よもや2ヶ月前にサインを書いた人間のことなど正直忘れていても不思議はありません。

単なる偶然だとは思うのですが、私にとっては嬉しい偶然でした。

このテーピングとサインは未だに私の宝物になっています。

記録を調べるまで失念していたのですが、この二ヶ月間で私はライオン道とライオンハートの両方を観ていたのですから、それだけでも記念になりますよね。

WAR参戦時ジェリコ選手は故・冬木弘道さんに師事したこともあります。


冬木さんに傾倒


冬木軍では当時のリングネームだったライオン・ハートから「ライオン道」に改名するほど傾倒していました。

インタビューでも「日本は第2の故郷で、故・冬木さんには観客を魅了する方法を習ったり、天龍さんには相手をボコボコにすることを学んだ場所である」と公言しており、「一人の男として成長できたのが日本である」とまで言っています。

このように日本でのプロレス戦歴が長く、親日派でもありますが、日本のプロレスに根ざしている「プロレス最強説」に基づいた傾向に対しては否定的です。

雑誌のインタビューでは「プロレスはエンターテイメントなのに、シュートやMMA(総合格闘技)と結びつけてしまった」ことが昨今の日本におけるプロレスの衰退の主な原因であるとしています。

あれから時がたち、ジェリコ選手は手の届かない世界の大スターになってしまいました。

サインを頂いたときは正直夢にも思いませんでしたが、私の中では若々しく躍動するライオンハートがすごく眩しくうつったので、あの時勇気を出して色紙を差し出してよかったなと思っています。


ECW→WCWへ


ジェリコ選手は1996年には、ECWに参戦し、テレビ王座を獲得した後、WCWに移籍します。

クルーザー級王座やテレビ王座などを幾度も獲得しました。

WCW→WWEへ
WCWでは、自称「千年に一人の逸材」や「世界の王」といったキャッチフレーズで自信満々にアピールし、ヒールとしてのキャラクターを確立しました。

1999年には、WWF(現・WWE)に入団し、ザ・ロック選手との抗争で一躍注目を集めました。


マネー・イン・ザ・バンク


その後は、WWEの歴史上初めてWCW王座とWWF王座の両方を同時に獲得する快挙を成し遂げたり、クリスチャン選手やエッジ選手といった名タッグを結成したり、ショーン・マイケルズ選手やCMパンク選手といったビッグネームとの名勝負を繰り広げたりしました。

クリス・ジェリコ選手は、自らが考案したマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチという試合形式をWWEに提案して、実現させました。

この試合形式は、ラダーを使って吊り下げられたブリーフケースを奪い合うというもので、ブリーフケースには世界王座への挑戦権が入っています。この試合形式は、WWEの人気のある恒例イベントの一つになりました。


史上初


ジェリコ選手はアメリカで史上初のWWE&WCW統一世界王者に輝いたこともあります。

また2001年のWWE王座獲得により、WWE史上3人目のグランドスラムを達成しています。

さらに史上初WWEと新日本プロレス両団体のインターコンチネンタル王座を獲得した人物でもあります。

ジェリコ選手は、空中殺法や日本流のファイトスタイル、小悪党的なヒール像などを融合させた独自のスタイルを築きました。


エンターテイナーとして


また、ハードコアマッチやバトルロイヤルなどの長期戦でも見せ場を作ることができるレスラーです。

マイクパフォーマンスやアピールも得意で、エンターテイナーとしても高い評価を得ています。

そのクリス・ジェリコ選手は新日本プロレス2020年1月5日東京ドーム大会以来、実に3年10か月ぶりの日本マットになるDDTのビッグマッチ「Ultimate Party 2023」に登場しました。

日本でも入場曲「Judas」の大合唱で迎え入れられたジェリコ選手は、序盤から激しい場外乱闘を展開し、圧倒的な存在感を見せつけました。


Judasの大合唱


両国国技館に響き渡ったファンの皆さんの『Judas』の大合唱にジェリコ選手は「入場するまで大合唱になるのかわからなかったが、初めて東京で大合唱が起こって最高の気分だった。一生忘れることのない思い出をありがとう」とコメントしています。

試合では得意技のウォールズ・オブ・ジェリコで対戦相手の竹下選手を捕獲し、鮮やかな逆転劇でギブアップを奪ってみせました。

試合後のリング上で竹下選手と握手を交わしたジェリコ選手は「彼とはAEWのリングでやりたいとは思わなかったんだ。日本で、DDTのリングでやりたかったし、試合にも満足している。ファンもDDTも竹下も最高だった」とご満悦だったそうです。

しかし、AEWでは竹下選手が所属するドン・キャリス・ファミリーと、ジェリコ選手は抗争中で、11月16日のAEWダイナマイトでは「龍が如く7外伝ストリートファイト」で闘いました。

今後もAEWでは抗争が続いていくのでしょうね。

クリス・ジェリコ選手は、プロレス界のレジェンドとして、今もなお新しい挑戦を続けています。


今なお衰えない


また、両国では自分の息子くらい歳が離れた竹下選手と、23分35秒もの試合を戦い抜いています。

ジェリコ選手は、豊富なスタミナと技の引き出しの多さからバトルロイヤル等の長期戦でも盛り上げや見せ場を作るのに非常に長けており、それが今なお衰えていないことを、11月12日の竹下戦で証明して見せました。

ジェリコ選手のこれからの活躍にもぜひ注目していきたいところです。

そしていつかは私も会場で「Judas」の大合唱に加わりたいと思っています。



両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。