私的プロレススーパースター烈伝㊲小川良成
今回はプロレスリングノアのテクニシャン・小川良成選手のご紹介です。
小川選手は1983年に全日本プロレスに入門。1985年9月3日デビューしました。天龍源一郎さんの付き人を務め、その流れで1987年には天龍同盟入りしますが、なかなか体重が増えなかったことと肘の故傷に泣かされ、伸び悩みます。
しかし、その分テクニックを身につけジュニアヘビー級のレスラーとして活躍しました。SWSへ選手が大量離脱した後には、ジャンボ鶴田さんが率いる鶴田軍に加わった。
1998年8月、後楽園ホールでの6人タッグ戦で秋山準選手に初勝利します。ジュニアヘビー級の選手がヘビー級に勝つことは、全日本の試合においてそれまで考えられなかった出来事でした。
その時期、小川選手の台頭は「三沢革命」の象徴になりました。三沢さんのパートナーとして本格的に抜擢され、ユニット「アンタッチャブル(後のWAVE)」を結成。
以降は、そのテクニックが際立つようになり、「テクニシャン」と評され、ジュニアの体重ながら老獪なテクニックを駆使してヘビー級の選手とも互角に渡り合うようになっていきました。
2000年にプロレスリング・ノアの旗揚げへ参加。2002年4月にジュニアの選手として初めてGHCヘビー級王者(第3代)になっています。ただ丸め込みでの勝利が多かったことからヘビー級王者としての人気は今ひとつでした。
2005年7月18日の東京ドーム大会にて、かつて付き人を務めていた天龍さんと「Destiny第一戦シングルマッチ」で対戦が決定。天龍さんは試合後「俺に対してあいつが足りないのはキャリアだけだ。身体が小さいのにヘビーのベルトを巻いた人間だし、そういうリスペクトも含めて今日は試合をしたつもり」と最大の賛辞を贈りました。
2020年1月4日、小川選手は後楽園ホールにおいてGHCジュニア王者のHAYATAを破り、第41代王者となり、現在もノアジュニアをけん引する存在として活躍しています。