私的プロレススーパースター烈伝㉘・ハーリー・レイス
今回は、美獣の異名をもつ、ミスタープロレス・ハーリー・レイス選手のご紹介です。
美獣の由来は、アメリカで「ハンサム」ハーリー・レイスと呼ばれていたからです。
ハーリー・レイス選手は、通算8回(実質7回)に渡ってNWA世界ヘビー級王座を獲得した実績から「ミスター・プロレス」とも呼ばれました。
ストリートファイトの強さでも一目置かれ、リック・フレアーは自著においてレイス選手をプロレス界で最強クラスだったと記しています。
これは、サーカスなどに出場するカーニバル・レスラーとして、腕自慢の素人など、観客から挑戦者を募って勝負するカーニバル・レスリングにおいてシュートの実戦経験を積んだことによるものと思われます。
ビル・ロビンソンさんからも「デンジャラスな性格のストリートファイター」などと評されていました。
1973年5月24日、本拠地のカンザスシティにおいてファンク・ジュニアさんを破りNWA世界ヘビー級王座を獲得。以降、1981年頃までNWAの象徴として一時代を築きました。
通算8回に渡って腰に巻いたNWAのベルトは通称「レイス・モデル」と呼ばれ、晩年まで自身で所持していたそうです。
日本では1973年2月より全日本プロレスを主戦場とし、NWA世界王者となってからも全日本の看板外国人レスラーとして、特別参加の扱いで再三来日しています。
NWA世界王座は日本でも防衛戦を行っています。また1982年には、8月1日に後楽園ホールにてジャンボ鶴田さんからUNヘビー級王座を、10月26日に帯広市総合体育館にてジャイアント馬場からPWFヘビー級王座をそれぞれ奪取しています。
年末の世界最強タッグ決定リーグ戦には4回出場しており、1984年にはAWA世界ヘビー級王座に幾度となく就いたニック・ボックウィンクルさんとの元世界王者コンビを実現させています。