栗橋茂

私的プロ野球スーパースター烈伝⑩栗橋茂

今回は近鉄の和製ヘラクレスこと栗橋茂外野手のご紹介です。栗橋選手は、1973年のドラフト会議で近鉄バファローズから1位で指名され、入団しています。

東京都出身の栗橋選手は近鉄という球団に対して「東京出身だから近鉄のことはあまり知らなかった。あの頃は、ほんとたまにNHKで中継があるくらいだった。」と述べています。

実際、いまと違い野球の放送は地上波一択でしかも巨人一辺倒の時代に、よく入団してくれたものだと思います。晩年には仰木彬監督との確執で、阪神へのトレード話もあったようですが、栗橋選手は「入った以上最後まで近鉄とも思っていました」としてこれを固辞しています。

1979年は自己最多となる32本の本塁打を放ち、近鉄球団史上初のリーグ優勝に大きく貢献し、ベストナインにも初めて選出されました。

さらに1980年には2年連続のリーグ優勝に貢献。最高出塁率のタイトルを獲得し、ベストナインにも再び選出されました。

1982年には、3度目のベストナインに選出。また、1985年5月21日に大阪スタヂアムで行われた対南海ホークス戦においてサイクル安打を達成しました。

そして近鉄が9年ぶりのリーグ優勝を決めた1989年シーズンを最後に現役引退しました。

さて、ニックネームになった和製ヘラクレスですが、栗橋選手自身は「ウエートトレーニングは、ほとんどしていないんです。キャンプの時期や自主トレでは、していたけど、シーズン入ってからは、しなかった。変な筋肉つけちゃいけないっていう時代ですかね。今思えば、やってたらもっと長持ちしていたからな。最後は完全に力が落ちましたからね。」と述べらています。

しかしながら、当時の長距離打者の中では特に大柄という選手ではなかったものの、鍛え上げた筋骨隆々の体を持っており、長打力に優れた選手でした。

栗橋茂

投げては背番号1の鈴木啓示投手が抑え、背番号2の栗橋選手が打ってきめるというのは、私が見始めた頃のバファローズの必勝パターンでした。その勇姿は未だに私の記憶に刻まれているのです。

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 プロレス観戦記書き | せかぷろ | プロレス“ザ・モンスター”ハラダ
両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。