私的プロレススーパースター烈伝⑦エル・サムライ
今回は90年代の新日ジュニアをささえた功労者でもあるエル・サムライ選手です。
高校時代はレスリング部に所属し、インターハイ、国体に出場した経歴があります。1985年4月、新日本プロレスに入門した約3ヶ月後、1986年7月24日デビュー。1991年3月、メキシコへ初遠征し、マスクマンエル・サムライとして1992年3月、凱旋帰国しています。
サムライ選手は日本式プロレスにルチャリブレのエッセンスを積極的に取り入れています。飛び技、丸め込み技、ラフファイトまでこなす万能タイプです。
更には受け身の技術、タコと表現される柔軟な身体、妖怪と評されるスタミナを利したプロレス特有の受けの強さも屈指のものを持つオールマイティな幅広く懐の深いレスリングを信条としています。
自他共に認める練習嫌いなのは、タバコと並んでサムライ選手の代名詞になっています。
試合前もこれといった練習は行っていないそうで、特に器具やトレーニングマシンを用いた練習を嫌っています。練習量の豊富さで知られる新日では異例といえます。
ただし走り込みやストレッチ、自重トレーニングは行っており、結果的に豊富なスタミナや怪我をしにくい柔軟な身体を手に入れているため、怪我による欠場がほとんどなく、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアには第1回から退団前年の2007年まで全出場しています。
自身の役割や立ち位置の見定めの心得がある人物で、文句を言わない(言えない)性格が幸いしたとライガー選手は語っています。
個人的には生観戦しに行った1993年6月14日 大阪府立体育会館での第4回BEST OF THE SUPER Jr.決勝が印象深いですね。
この試合ではワイルド・ペガサス(クリス・べノワ)に、コーナー最上段からのパワーボムで叩きつけられ、前年同様準優勝で終わっていますが、このスーパーパワーボムを喰らっても、サムライ選手が試合後普通に立っていたのを見て驚愕した思い出があります。
現在は2007年9月に長期欠場となったきっかけである膝のケガの悪化により、試合はしていない状況ですが、いつかまた試合をみてみたいですね。