[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝(91)鈴木みのる
国体二位
今回は「プロレス王」の異名で現在も活躍している鈴木みのる選手のお話です。
鈴木選手は、高校時代レスリング部に所属。国体2位という実績を残して新日本プロレスに入門します。
1988年デビュー
1988年6月23日、飯塚孝之戦でデビューします。1989年3月には、当時「出直し」と称して第一試合に登場していたアントニオ猪木さんと対戦しますが、同月に新日本プロレスを退団し、4月3日にUWFと契約します。
その後、藤原組を経てパンクラスを旗揚げし、総合格闘技の道を進んでいきますが、2002年11月、横浜大会で獣神サンダー・ライガー戦を行います。
プロレス復帰へ
本来は佐々木健介選手と対決する予定であったが、同年9月に健介選手が負傷。その後、健介選手が新日本プロレスを退団したため、ライガーさんが代役として出場した経緯がありました。
これをきっかけに、再びプロレスと交わった鈴木みのる選手は、新日本を皮切りに様々な団体に上がっていきます。
大一番では
プロレスに再進出してからはヘアスタイルを頻繁に変えるようになり、凝った剃り込みが入っています。ちなみにそれ以前のヘアスタイルはリーゼントか坊主でした。
また、普段は黒のショートタイツに黒のリングシューズといういでたちですが、パンクラス時代から現在に至るまで、ここ一番の大舞台では白のショートタイツを着用するのも特徴です。
強いこだわり
必殺技には強いこだわりがあり、「誰でもできるけどその選手が使うとまったくちがう、っていうふうに見せられるのがプロ。フィニッシュホールドはなおさらそうじゃなきゃだめ。」という持論の持ち主です。
鈴木選手こだわりの「ゴッチ式パイルドライバー」ですが、開発者は鈴木みのる選手自身です。
しかし技の完成に至る経緯で藤原組時代に、カール・ゴッチさんによるアドバイスを受けて技を改良したことから「ゴッチ直伝」であることは間違いではないとしているため、「ゴッチ式」という名がつけられています。