はじめてのネットの世界から20年ぶりの再会…
この記事は、noteのお題企画なるものを知り、昨年はじめてブログに挑戦した時に書いた記事を投稿しています。
**********
私がはじめてインターネットの世界に触れたのはもう20年も前のこと。
まだ、Windows95か98を使っていたしブログという言葉もまだなかったかもしれない…。
会社でのお昼休み、自分の机のパソコンでネットサーフィンなどをして時間をつぶしていた時にある作家さんのコラムに夢中になってしまい、それから毎日購読して読むようになった。なんでそんなに夢中になってしまったんだろうか・・・。
「私もそう思う。この人はこの件をどう考えるのかな。」
「こんなにも正直に、素直に自分の気持ちを表現できるって素晴らしい。」
毎日読んでいくうちに、その作家さんの考え方に共感できることが多く、なによりその自分を語る表現がとても気に入ってしまったらしい。なぜそんなに気に入ってしまったのかと今考えると、それはきっと私が自分の気持ちを伝えるのが下手だからだと思う。
時に代弁してくれているかのように感じたり、時にこういう意見もあるよ・・・となげかけてくれたりと、その作家さんのコラムを読むことで毎日対話しているような感覚になっていて、なぜかその時間は心が動かされ惹かれてしまったのかもしれない。
そんな、昼休みのひとときをワクワクさせてくれた作家さんの正体は『田口ランディ』さんだ。
20年の時が経ち、なつかしさを胸についさっき私に楽しいネットの世界を覗かせてくれたそのランディさんの現在のブログを読んでみた。
やっぱり変わっていなかった。変わらずに自分を語っていた。
なんでだろう、ランディさんのブログを読んでいるうちに目がうるうるしてきて、スマホの画面が滲んできてしまった。
昔と同じ、今も心動かしてるなあ・・・。
そして、今の私の心も動くな・・・。
そして、20年前の思い出の再会の感動のあと、10年前に書かれていたある記事に出合った。私のようにランディさんのことが好きなブロガーさんで、ランディさんの「語り」について紹介している記事だった。
ブロガーさん曰く、「ランディさんは自分のことを喋っているのではなく、語っているのだ」と言っていた。まったくその通りだと思う。
人生は「語る」である。人生を「しゃべる」とは言わない。語ると話すは別の行為だ。そして、私たちは時々「語りたい」のだ。「語らない」と自分がわからなくなる。自分を見失ってしまう。なぜだかわからないけど、人には「語る」ことが必要なように思う。
たとえば「私の転機について……」自分の人生がどうで、こうで、ああなって、そして転機があったのよ。そうやって語りたいのだと思う。語らないと自ら意識できないことが、たくさんある。
人生の目撃者は自分だけだから、自分が常に経験の主体だ。だけど、時おり主体を離れて、自分の人生を客体として語ってみることが、人が生きるためには必要なのだという気がしてならない。
引用:田口ランディ 人生29歳変動説より
自分自身が29歳の時に読んでいたこの『人生29歳変動説』。
その記事を、20年の時を経て、今まためぐり廻って目の前にすることができた。20年経った今読んだこの記事の内容に感動したのか、20年という時間を超えて出合ったことに感動したのか、なんでだろう瞳になにかが溜まってきた・・・。
そっか、ランディさんはきっと20年前とは違う滲んで見える書式を使用してるんだろうな(笑)
ネットっておもしろいね。思いもかけない繋がりがあるから・・・。
20年前に書かれたものも、10年前に書かれたものも、どちらも今の私の心には響いて動いたのである。
**********
私がブログをはじめたのはどうしてだったのかー。
ブログで収益化を目指すには、特化型ブログが良いと目にしたことがあるが、私には今のところ特化したものは見当たらないように思える。
そこで、ひとり静かに心の中で「特化しないことに特化したブログをやってやる!」などと素人の新人が心の中で大きなことをほざいていた。(今、すべての人に公開してしまったけど・・・)
私自身、どんなブログが読みたいかと言えば、おもしろいと感じるものだったり、毎日をガンバっている人たちの言葉だったり、自分のことを見つめて語っている言葉だったりする。
確かに、間違いなく、特化型の情報提供ブログはとても必要で役にたつものであるのは言うまでもない。必要で価値あるものだ。
でも、それと同じくらいに私にとっては特化型しないことに特化したブログも価値あるものなのだ。と、言いたい。
心を動かすことに特化したブログ・・・。
そんな特化型のブロガーになれるのか?
そんな特化型のブログを読みたい人は、私以外にいるのかな・・・?
私はまだブログをはじめたばかり。
これから何に特化していくのか、はたまた自分の特化を掘り出せるのか楽しみでもある。
いつか自分も20年前に出合ったランディさんのように、10年前に記事を投稿したブロガーさんのように、10年20年の時が廻って読まれた時にたったひとつの記事でもいいから心を動かせる文章を書けるようになりたいと思った。