色を感じると
秋も深まり、あたりの景色はこんな色に染まってきたある日、
あの絵にまた会いたいと思った。
はじめて出会ったのは、もう20年ほど前になるだろうか。
パブロ・ピカソのコラージュ作品だ。
新聞(LE FIGARO)に滲んだシミの色
壁紙の柄のくすんだあずき色
ワインボトルのやわらかな色
こんな渋い色合いを見ていると、どんな文化背景の人でも、その深いところには、
侘び寂びの世界が横たわっているのでは
と思ったりする。
この作品の横の壁には、ピカソのことばが記されていた。
なるほど、ピカソは被写体を観たようにではなく、考えたように描くのだな。
ドイツ語の表記は、考える ではなく、kennen 知っている・識別する という意味合いのことばが使われているが、いずれにしても、ピカソが観たものは、彼の中に一旦降りてゆき、彼の消化液がかかっていくのだろう。
だからこそ、このような人物像が生まれるのかもしれない。
『鏡の前の女』というタイトルがつけられたこの絵の女性は、どんな姿を鏡の中に見るのだろう。
他人が見たわたしと
自分自身が見るわたし
には、ときおり大きな差があるから、気になるところだ。
この女性の近くには、とても惹かれる色合いの作品が展示されていた。
錆のようなオレンジ色と明るい紫色があたたかい。
補色系の色たちが、お互いを包み込むように、やわらかく共存しているように感じられる。
これがとても心地がよくて、しばし眺めていた。
立ち去りがたかったが、隣の展示室に移ると、
ということばが目に入ってきた。
一瞬にして、この画家と旧知の仲になれたように感じた。
色を感じて、その時々のわたしを感じていく。
たしかに、生きていると思える瞬間だ。
Reiko