空、 風、 におい
穏やかで、日中は暑いくらいの日が続いたドイツの9月でしたが、下旬ごろから、朝晩とめっきり冷え込むようになり、そこここで、秋を感じられるようになりました。
そんな秋が届けてくれたものに微笑みかけたり。
雨の後、一晩で現れたキノコたちに出会い、なんだか愉快な気分になったり。
ちょっぴりにぎやかなキノコたち。
ひっそりと装いはじめる蔦にも出会い、
こんな秋らしい雲も。
そして、今、日本の空を見上げて、日本の風を感じています。
空気が、ほんとうにまるい。
水のかたちが、風をやわらかにしているよう。
こんな空気を吸いながら、ふと思い出すこと。
わたし達人間の嗅覚は、
コレ
という匂いや香り以外にも
本人が自覚していない "匂い" を
認識していると。
刑事ドラマなどで、よく耳にする台詞
あいつがクサい
には、見えないものを感知する嗅覚の性質が、映し出されているように感じます。
嗅覚は、
本能的な勘と密接につながっている
と言えるかもしれません。
からだという蔵には、それこそ膨大な記憶や情報が収められているのでしょう。
その奥深いところには、わたしにとっての日本の匂いの原型が、鎮かに漂っているのかもしれない。
こうして、日本の空気を吸いながら、わたしは自覚していないけれど、嗅覚が見つける匂いがあって、それが、蔵の奥に収められている匂いとぴったり重なり合うこともあるのでは。
そんな時、からだは、なにをどう感じるのでしょうか。
そんなことを想いながら、外に出ると、
ほのかに、かぐわしい香りが。
金木犀が、
そうっと開きはじめていました。
おもわず深く香りを吸いこむと
小学校の運動会のころ
が思い出されて、
ただただ
懐かしい
という感情があふれでます。
(金木犀は、ドイツでは見かけたことがないのです。)
わたしが無意識的に嗅いでいる匂いも、こんなふうに、蔵の奥深くに届いて、その他の記憶と結びつき、神秘的な連鎖反応を起こしているのかもしれない
と推測すると、なぜか、
勘のはたらく人間になりたい
という願いがつよまるのです。
Reiko