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わたしの中の「ゲジゲジ」を受け入れる・・・・・・・・・その⑥
自分への接し方が変わり、自画像が変容していく間に見た夢には、やはり、二人の女の子が現れました。
その夢は、とても長いものでしたが、わたしが手放しで喜んだシーンは、次のようなものでした。
わたしは、青森から北海道へ渡るフェリーから降りた。
そこは、薄暗い海岸だった。
そこへ、二人の女の子が駆け寄ってきて、わたしを迎えてくれた。
一人は、9歳くらい。もう一人は、6歳くらいの年恰好。
仲良くはしゃぎながらわたしに向かってくる様子に、わたしまでうれしくなった。
二人は、わたしの手を取ると、近くにある山に案内してくれた。
霧が晴れて見えてきた山の姿は、息をのむほど美しかった。
わたしは、ただただ放心したように山を眺めた。
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わたしは、二人の少女を見た瞬間、この子たちは、キリとマルの育った姿に
違いないとわかりました。
キリとマルは、すっかり打ち解けて仲良くなり、以前のような距離感はすっかり消えていました。
わたしが到着するのを心待ちにしていた二人の様子に、二人のわたしへの信頼と親しみが感じられて、心がジ~ンと熱くなったほど。
その時々の人生の局面と、そこで現れる夢とは、
切り離すことができません。
夢からのメッセージを読み取るためには、
その頃、
自分が取り組んでいること
注意をひかれること
何が身辺で起こっているのか
にも目を向けていきます。
わたしのこの夢は、悲しい、かなしい別れがあった後、10日ほどして出てきました。
19年近く、わたしたちのもとにいてくれた猫が、天に帰ってしまったのです。
その4週間ほど前、猫の容態が急変して、次第に衰弱していったとき、わたしは、大きな決断を迫られました。
猫が日に日に弱っていったちょうどその時、セラピスト養成講座の5日間合宿セミナーも予定されていて、これに参加するか否か決めなければなりませんでした。
養成課程終了間際、テーマも興味深く、誰にとっても大切なセミナーでした。
ずっと昔、高校受験の直前に、わたしには、ある苦い経験があったのです。
受験直前、ペットの犬が急死してしまった。。。
母と弟は、わたしが悲しみ、わたしに悪影響を及ぼすのではと気遣うがあまり、わたしの友達でもあった大事な犬の死を知らせてくれなかったのでした。
お別れできないまま、犬は、庭の片隅に葬られてしまいました。
あの頃のわたしは、何も言わず、泣き叫んで抗議することもなかった。
悲しみや怒りの気持ちも何も出さず、ただただ、麻痺していた。
死は待ってくれない。
死は、その生に一度しかない。
死は、いのちの終わり。
わたしは、セミナーには参加せず、猫に寄り添うことに決めました。
そして、猫は、セミナーの最終日にわたしたちのもとを去りました。
何十年も前、自分の心の内を表すことができなかったキリやマルの苦しみ、
心の痛みをわたし自身が知っていたから
マルも自分のために本当に「したいこと」を言えるようになっていたから
キリが強い意志を「自分の人生のためになること」に使ったから
わたしは、自分に一番必要な選択肢を選ぶことができたのです。
猫との別れには、何が何だかわからないほど
泣けて泣けてしまったわたしでした。
でも、わたしの中には、月に照らされる
なめらかな水面のような静けさがありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最終回へ続く
Reiko
『わたしのなかの「ゲジゲジ」を受け入れる・その⑤』はこちら↓です。