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正義の正体

 正義や正義感、それに伴う怒りなどはどのような本質を持つのだろうか。

 自分自身の考えや思っている善悪から発する感情が正義感だろう。しかし、別な投稿でも散々書いているようにその「考えや善悪」は全人類に通用するものだろうか。自分がそれを嫌いなだけかもしれないし、教えられた常識なだけだったり、現在の法律で悪とされているだけかもしれない。

 ここまでのことだけでも十分に理解できる人もいると思う。
正義の本質は、自分から見た正しいことという判断であり単なる個々のエゴではないでしょうか。

 世の中の流れに対して、怒りや不安を訴える人も多くいます。そしてそれを正義のためという人がいます。救世主や覚醒などという言葉で綴る人がいます。

 では、そんな正義感を駆り立てられる悪の世の中を創り出しているのは誰なのでしょうか。その創り出している人から見れば今のこの世の中が正義なのではないでしょうか。どちらが正しいのでしょうか。そんな風に判断するべきことなのでしょうか。権利や権力を握り世の中を動かしている人物にしてみれば自分の正義の中で上手くコントロールしていると思っているのではないでしょうか。それは政府などでもなく想像し得ないような超人的権力者の世界での正義なのではないでしょうか。

 そんな人から見れば、各国家に囚われているような一般人の正義など利用するだけの物事であり、人類を俯瞰し動かす正義に比べれば蟻が地を這うのを観ている程度でしょう。それが想像に難くないと思える人なら分かるでしょう。

 では、どのように考えれば良いのでしょう。いろいろな答えがあるでしょう。しかし、正解は無いのです。すぐに正解を求めたがる世の中になってしまいましたが、そんな傾向すら利用されてしまっています。著名人を使って、メディア、マスコミのような古い媒体から、各種SNSに巨大なアカウントやチャンネルが登場している新しい媒体まで網羅されています。以前よりも情報の浸透は速く、群衆を騙すのは容易になったのかもしれません。

だから言えることがあるとすれば、怒ったり正義を振り翳しても仕方がないということです。俺だって怒ります。正義感を出すこともあります。しかしながらあくまで自分自身の善悪によるものです。その俺の怒りが、人々と同じだと思ってはいません。思っても意味がないのです。

怒ること正義感を出すことは、分断に利用出来ます。感情で言う人、感情で動く人、常識で判断する人、法律で判断する人などは、利用されやすいでしょう。まさに今の世の中の全てですね。

 日本は、昔から法律のような決まりは少なかったのではないでしょうか。では何故、調和していたのでしょうか。俺の考えでは、侘び寂びや武士道などそれぞれの文化で編み出された美しさや強さなどが浸透していたからではないかと思います。日本人は未だに契約や値決めにルーズだったり下手だったりします。そのためか、あらゆる分野で被害者側の泣き寝入りというような冷たさもあれば、過剰なほど被害者側に有利な物事があったりもします。加害者擁護のような法律や常識も散見されます。

 少し話は逸れましたが正義の正体とは、教えられた物事や創られた世界の物事でしかなく、信じているそれらが万物に通用するでしょうか。それが万物に通用するのならば、何故戦争に行ったら110564(ひとご・・)が正義なのでしょうか。

 正義の正体を知れば、世界中の人々が騙されていることが分かるでしょう。人間が一生の間に理解出来ることはそれほど多くはありません。だから群衆の多くが未熟なまま一生を過ごすし、気が付いた一部の人間も群衆の中に埋もれて生きるしか術が無いのです。

 そんな世界を変えるにも体系的な教義も無いし、あったとしても支持される事も無いだろうし、公にされることもないでしょう。何故なら、それを教義へと成し遂げた一部の人々だけが密儀としているからではないでしょうか。

 とめどもない話になりましたが、正義とはそのようなものだと理解し世界を見渡すことで、より柔軟な解釈が出来るようになるのではないでしょうか。