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ギャンブル依存症の夫と離婚した選択


結婚前、誠実そうに見えた元夫は妊娠中に「実は借金がある」と告白してきました。

いやいや……今言う…?お腹に子供いますけど…?というツッコミしかなかった。

私がパニック障害を発症したのは、借金に悩み、眠れない日が続いていた頃に大渋滞に巻き込まれたことがきっかけでした。その後、数年かけて自身のパニック障害が少しずつ症状が緩和してきた頃、離婚という選択をしました。

約7年の結婚生活の間に1000万近く。
よくそんなにも使えたなぁと今でも思います。





ギャンブル依存が治らなかったのは、両家の家族も含んで共依存であったことが大きな原因だったと思います。

共依存とは

共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平穏を保とうとする。共依存にある状況では、依存症患者がパートナーに依存し、またパートナーも患者のケアに依存するために、その環境(人間関係)が持続すると言われている。

出典:Wikipediaより


共依存だった関係

世の中にはいろんな依存症があって(アルコール、ギャンブル、ゲーム...等々)、その依存症者の近くには家族や恋人、友人など近しい人がきっといると思います。


その中には「なんとか立ち直らせよう」と本人以上に奔走し、逆に自分自身が心も体も疲弊してしまう状態に陥る人がいます。


これが私でした。

共倒れ状態


たとえば

  • 自分の問題ではないのに常にそのことを考えて悩み、行動し、疲れきっている

  • 将来を悲観し、希望が見えないように感じて毎日が辛い

  • 問題の真っ只中にずっといて、苦しみから抜け出せない


自分自身の人生を生きていない。
(意図してなくても)相手の為の存在になってしまっている。
本人じゃない人が、問題解決に必死になってしまうことです。


簡単にいうと、自身の価値観で相手の自立や回復を阻み、改善の機会を奪ってしまっている、(自分を苦しめる)自己犠牲精神でさらに事態(症状)が悪化している。

良かれと思ってやってたけど状況悪化させちゃってた。

もちろんそんなつもりはなかったけど、結果としてはそういう状況に陥っていました。

私の場合は「とにかく借金なんて絶対に嫌」何としてでもすぐに返す!と息巻いていました。

ギャンブルが嫌いなのではなく、趣味や娯楽の範囲では何とも思いません。子供がいるのに、「何かあったときどうするの?」という気持ちが一番強くて不安でした。息子の場合は乳幼児の頃、通院も入院も何度も経験があり尚更強く思ってました。


身近な話でもある

自分の事を犠牲にしてまで相手に尽くし、結果相手を甘やかしてしまうことって割とどこでもあると思います。

いわゆる「面倒見の良すぎる人」

例えば親子、カップル、職場 さまざまな関係で起こり得ることです。 実際に気付いてない人のほうが多いかもしれないです。

「自分がやってあげなきゃ」
「自分が何とかしなきゃ」

こう思うことが悪いという話ではなく、
「自分自身の限界を超えてまで面倒を見てしまう」
「相手がしなければいけないことを苦しくても代わりにやってしまう」

そんな状態になっていると注意が必要だと感じます。結果、相手は成長しなくなりそこで甘えることに慣れてしまいます。

相手は依存し、自分は相手の問題に無理して対応していかなければいけない状態になっていると危険です。


眠れない日々


気付いてから

ギャンブル依存症者にとって「周りが手を貸す」のが1番してはいけないということに長い間気付かずに苦しい日々を過ごしてました。


本人の問題は本人が解決する。
これが回復への道でした。

「自分でなんとかしなさい」と言えなかったことは私の反省点です。

家庭と子供を守るために何とかしなきゃ。
こういった感情が負の連鎖を長引かせる要因のひとつでした。


共依存のことを見つけ、「まさにこれだ」。「何とかしよう」ってやってきたことは間違いだったんだと知り、「だから治らないのかも…」という、原因が少し分かったことで安心にも似たような感覚もありました。

そして話し合い、「もう二度と手は貸さない」「自分の力で返済して」と本人にも告げました。

その後も、利用できる制度や自助グループへの参加、法律相談所にも相談したりと、できることをしてきました。根本的に幼少期でのトラウマがあるということも分かり、精神科などにも通いました。


が、そこから2年ほど経過して再び借金が発覚しました。そして家にも帰ってこない(後ほど聞いたら合わす顔がなかったらしい)、音信不通、安否も不明な状態に。

根深いです・・・。依存症。


意思ではどうにもならないことを痛感しました。私自身もパニック障害があり、気の待ちようだ!みたいな話は嫌いです。だからこそ理解できる、理解したいという気持ちもありました。出来る限り、落ち着いて何年もかけて話合ってきました。

ですがこの時ばかりは全てのカードを止めてる状態で行方知れず。まさか闇金では…?と不安が抑えきれなくなりました。不安どころか恐怖まで。

子供のお金までなくなっている。

そして私は子供と生活を守るためにも離婚するという選択をしました。次にやったら離婚だよ、という約束も交わしていたため用紙はすでに記入済みで、1人で届けを出しに行きました。

結局は、頭で理解しても行動が伴うのってものすごく大変なことで、根本の解決にはさまざまな努力や労力が必要なのにそこに至るまで完璧に出来なかった結果なのかもしれません。
本人も、都合が悪くなると逃げてしまうというのも、問題に向き合えてなかったのかなぁとか、私に関しても、この人をきっと変えられると思っていたこと自体がおこがましかったのかな、とも思います。

どこで間違えちゃったかな、本当にこれで良いのかなと沢山悩みました。「しばらく一人で生活していきなさい」と言えば良かったのかな?でも子供は父親が大好きで、引き離すことにも躊躇いと葛藤もありました。

本当にこの選択でいいのかとも禿げそうなほど考えましたが、その時その時で必死だったことだけは確かです。やれることはやり尽くして決めたことなんだからこれで良い。

どうなったか

私自身は借金問題から解放され、それを心配することがなくなりました。

お財布そのへんに置いておける
金庫をいちいち使わなくていい
カードの明細にビビらなくていい
ずっと疑い続ける生活じゃなくなった


やっと自分自身の人生を楽しむ準備ができた。そう思うことにしました。「人生オワッタ」と思ってたけど、、、思考の転換ってスゴイ。


”どこかで選択を間違えたかもしれない。”

”あの時こうしてれば...”


こんな事は山ほど思ってきました。でも今思うことは、これらは後から覆せる可能性だけは持っているということ。私自身、一人親になったときに精神疾患抱えてるのに大丈夫なのか…と不安で泣き続けた日もありました。けど、どこかで「ここで終わってたまるか!自分が絶対子供を幸せにする」という想いも湧いてきました。

問題にちゃんと向き合って、その当時に悩み抜いて、考え抜いて、行動にうつして、そのうえで自分で選んでいる時点できっと間違ってない。

離婚から4年、パニックとは今もひっそり共生しているけど、子供とつまらないことで笑いあって穏やかに暮らせていることが証明でもあります。


#自分で選んでよかったこと

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