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陽乃草子「犬─仮称:ジョン」



行きずりの犬に出会う体験は、良いものだ。

私はかなりの犬好きらしい。外を歩く際、ひとりであれば間違いなく、人と一緒にいてもほぼ全ての場合、道を通る犬には意識を奪われる。それを表出させるかはわたしの理性と一緒にいる人との関係性によるが。
たとえどんな犬であっても、認識してしまえばわたしの精神は必ず、少なくとも一瞬は犬に支配されるのだ。
そのため、私は行きずりの犬に磁石のように吸い寄せられ、束の間の友人となったり、時には疎ましがられたりする。

仮称:ジョン


今回出会った犬を、便宜上「ジョン」としたい。
私は彼もしくは彼女の名前を知らないが、呼ぶ際に不便なので、この記事上ではそう呼ばせてもらおう。もし今後飼い主さんと出会うことがあり、本当の名前を聞けることがあれば、表記を改めようと思う。
名前の由来は、私が彼から彼が「ジョン」たる印象を受けたからだ。私はなんとなく彼が「彼」である気がしているが、違う可能性も十分にある。

ジョンとの邂逅

実のところ、ジョンと会うのは初めてではない。随分前に彼の繋がれている場所を通った際にも、彼はそこにいた。その頃の私は犬にも構われない自由があると思っており、遠くから彼を眺めるだけに留めていた。
恐らく今と同じくらいの、肌寒くなってくる時期の夕暮れのことだったろうと思う。彼は体を丸めて、鼻先を自らの体毛に埋めて目を閉じていた。それでも彼は野生動物らしく通りの気配に敏感で、近くを人が通る度に耳をぴくりと動かしたり、薄く目を開けたりしていた。
そんな彼がやおら体を起こし、低い声で一声吠えたものだから、私はすこし驚いた。

彼の視線の先には、一人の人間がいた。男性か女性かも失念してしまったが、恐らく飼い主なのだろう。それが傍目にもわかるほど、ジョンは目を輝かせ、尻尾を振って主の帰宅を喜んでいたのだ。
飼い主は彼に二言三言話しかけ、繋がれていたリードを解いて家の中へと誘った。
しばらく見ていた中では、私はジョンに静かな犬という印象を抱いていた。しかしそのジョンが、飼い主の前ではあれだけ感情を露わにするのだと、ジョンと飼い主の絆を感じて、私の心はじんわりと暖かくなった。
私が関わったわけでもない、ただ傍観していただけの思い出だが、彼の記憶はわたしの中にその頃から積み重なっていた。

ジョンとの再会


それからもう数年は経っただろうか。偶々同じ場所を通りかかった際、あの時と変わらぬジョンの姿を見つけて、私は無性に嬉しくなった。
犬が人と共にいてくれる時間は、どうしたって短い。わたしにとっては数年でも、彼らは彼らの速度で、わたしから過ぎ去ってしまうこともある。
あの時わたしに幸せを分けてくれたジョンがまだ健在であることが嬉しかった。
幸いわたしには多少の時間があった。これは、彼との再会を喜ばないわけにはいかないだろう(彼にとっては初対面なのだが)。
そうして、私はゆっくりと彼に歩み寄ってみた。

彼は以前と同じように、伏せたり、体を丸めたり、道行く人に興味を示してみたり、を繰り返していた。
忙しい現代人たちが彼に一瞥もくれず歩き去る中、彼は明らかに自分に近寄ってくる人間を認識した。

折角彼がこちらを向いてくれたが、上手く撮れていない。



まずは挨拶から。わたしは意識の全てを犬に持っていかれることがあるほど犬が好きだが、だからこそ犬に対して紳士でありたい。居住まいを正した彼を、いきなり撫でるような無作法はしない。
彼はわたしを見て、差し出された手を検分するように少し嗅いだ。


おや……?
まずは味見、とばかりに遠慮がちだった彼の様子が、次第に変化していく。
彼は中型〜大型犬に分類されるだろう、という程の大きさだ。彼の顔はわたしの手には収まらないほど大きい。彼のひと舐めで、わたしの手の半分ほどに影響が及ぶ。

強い。 
彼の舌の力が強い。彼はわたしの何を以って信用に値すると判断したのだろうか、途端に冷静な姿勢を崩し、わたしの手を舐めることに執心し始めた。
挨拶のつもりで差し出した手にそこまでの力は篭っていない。容易に支えを失い、わたしの手は彼の望むままの「舐め」によって翻弄され、蹂躙される!


数秒でこの心の許しようである。クールに見えたジョンとは別犬のようだ。

こうなればもう、こちらも紳士の仮面を被ったままではいられまい。
自制の箍を解放し、わたしは心のままに彼を撫でる。頭の毛は短く滑らかで、毛流れに沿って撫でるほどに彼の毛艶が映える。
彼はもう片方の手が出てきたのにも目敏かった。まだ自分の「舐め」が及んでいない反対の手にも、さらに増す勢いで向かってくる。

犬がここまで人間に心を許してくれることの嬉しさよ!風が冷たいこの季節に、彼は体内で暖められた大きな舌で、わたしの手をこれでもかと力強く舐める。それに反抗する意志など浮かぶはずもない。わたしの全てを開け放してやったっていいくらいだ。
こんなにも双方向に満足感がある蹂躙がこの世にあっただろうか!

彼は舐め、わたしは撫でる。撫でる範囲も徐々に広がる。やはり犬に接したら、背中からお腹まで全て可愛がってやりたいのが犬好きの性というものだ。
ジョンもそれに応え、地面に寝転がって撫でることを強請り、それでいてわたしの手を舐めたがる。
もう彼の望むことはすべて叶えてやろう。その思いで、わたしは無心に彼と触れ合った。
彼を抱きしめたいと思った。しかし、その時のわたしは白い服を着ていた。脳の端に追いやられた冷静な私が、「この後に予定もあるのに、白い服に彼の黒い毛が付いてしまっては大変だ」と囁く。

嗚呼、好きな時に犬も抱きしめられないで、どうして人間なんてやっているのだ!
もう、社会性や外聞や、人間として大事なものなんて、このかわいらしい犬の前では全て捨ててしまってもいいくらいだ、と思った。
この衝動に身を任せることが一番心地が良いと言ってもいい。私は体全部を使って彼を抱きしめる。暖かかった。やはり、この喜びは人間社会からもたらされるものとは一線を画している。
わたしはこの上なく幸せだった。

夢から覚めるとき

幸せな時間もつかの間、人間であるわたしには、人間社会に戻らねばならない時間が近づいてくる。
ここまで一緒にいた彼と離れるほどの重要な用事があるなんてわたしは思わないが、わたしが人間として生まれてしまった以上、果たさねばならぬ義務、というものがあるらしい。それを果たすことが、このように気ままに犬を撫でる自由を得る近道なのだという。
わたしはその構造に些か懐疑的だが、今までそうして生きてきた以上、そのレールから容易く外れるのも難しい。
どうしても、人間であることが時に厭になる。なんの義務も課されず、重力にさえ逆らう必要のない流動体になりたい。そうして、気ままに犬や猫の上を滑る存在になるのだ。そうなれたらいいと思う時がある。特に、こんな日は。

わたしは涙ながらに立ち上がり、彼に別れを告げる。
その時の彼の顔の寂しそうな顔と言ったら筆舌に尽くし難い。

こんな顔をされて、その場を後にすることができる人がいるだろうか。
私は後ろ髪を引かれに引かれて、また数度彼を撫で、いよいよ彼から離れようとした。
彼は繋がれたリードをいっぱいに伸ばして、わたしを追おうとする。
しかし、置かれた自転車が彼を阻み、彼はその隙間から無力にわたしを眺めることしか出来ない。

わたしは彼に何度もまた会うことを約束した。
そうして数歩歩き出し、振り返ったとき。
彼が一声、大きく吠えた。

わたしは、彼がたまらなく愛おしくなった。

以前、彼の飼い主の帰宅を目の当たりにしたとき、わたしは彼が吠えるのは威嚇のためでなく、感情の表出のためなのだと知った。
彼が今吠えてみせたのは、わたしの彼に会えた嬉しさを、別れの名残惜しさを、彼とも共有できていた、というしるしなのではないだろうか。
わたしはそれが、数年越しの時間を経て、ただ嬉しかった。

ジョンへの認識を改める


わたしは、彼のことを冷静な犬だと思っていた。その認識を改めた方が良い、と今日、彼と触れ合ってみて思った。
彼はいつも、こうして触れ合ってくれる人を心待ちにしていたのではないだろうか。
彼の繋がれている場所の人通りはそれなりに多い。人が彼に視線を向けるたび、彼も耳を動かしたり、座り方を変えたりしてそれに応えていたように思う。
でも、私のように犬に対して簡単に自制を失い、白昼堂々衆目の中で撫で回すことができる人間も多くはないだろう。彼は毎日人が自分に近寄ってくれることを期待し、いずれそれが叶わないことに疲れて、丸まってしまうのだ。それでも期待を捨てられず、人通りにはどうしても反応してしまう彼の様子はただひとに対して従順で、純粋で、いじらしい。
絶対に、また彼のもとを訪れてやらなければならないと心に決めた。

ジョンが教えてくれた、動物と共にいるということ


人は、ただ時間を共にすることを求めている古くからの友人、生活の相棒の傍を足早に過ぎ去るような、そんな生活をしていていいのだろうか。
彼らの要望には、いつでも答えられるだけの社会構造であるほうが良いに決まっている。
人間よ、犬を始めとして、動物からの愛情や信頼には、全力を持って応えられるようであれ。
たとえ、それが己の社会性を捨てることになったとしても、だ。
きっと、友人たちは、人間が囚われている地位にも金銭にも拘りはなく、ただいつまでも共にいることをいちばんに喜んでくれるだろう。
飼い犬がいないわたしに、ジョンがそれを教えてくれた。

もちろん、飼い犬を守り命の責任を取るためには、時に彼らをひとりにしなければいけない時もあるのだろう。
ただ、わたしが動物の飼い主になる時には、たとえわたしが地位を失い家を失い共に嵐の中に放り出されたとしても、きっと彼らはわたしと共にいてくれる、と信じられるような関係を築きたいと思った。

そのために、もうしばらくはまともに人間をやるしかなさそうだ。残念なことに。

最後に、凛々しく美しい彼の写真をいくつか載せて、結びとさせていただく。

#陽乃光画

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