対話会のこと
休職していた5月のある日、初めて対話会に参加した。
それ以降、対話会には数回参加している。
私が対話会に参加するのは、色々な人と会っていろいろな話を聞くためだ。そうすることで、自分の枠を広げたり、引き出しを増やしたりできたらと思っている。
人と出会い、話をするためには、人が集まる場に出て、ある程度の社交性を発揮しなければならない。
しかし対話会は、ただそこにいて言葉を出すだけ、言葉を聞くだけ。コミニュケーションスキルも社交術も必要ない。(言葉を出すことへの慣れや勇気は必要かも知れない。)
なのに、参加した人は心から湧き出る、飾らない気持ちや言葉を聞かせてくれる。私にとって貴重な体験のできる場なのである。
何度か参加してみて、聞かせてもらった言葉たちが、今まで見えていなかったり、気づかないようにしていた自分の細部を照らしているような気がしている。
わたしなりに、人生のレールから降りてみたり、こだわりを手放してみたりして、自由になってみたつもりだけれど、まだまだ解放する余地はあること。
まだまだ解きほぐすことのできる堅さを持っていること。そんなことを感じている。
さらに自由になるために、今の仕事や生活の中にある、不自由な何かに気づいて認めてみる。そして、対話の場でタイミングが来たときに、そのことを言葉にして出してみる。出してみることで、不自由さは自分の一部として吸収されて、無くなってしまうのではないか。
そんなふうに対話をとおして、わたしの自由を拡げてゆきたい。
今、わたしにとって対話会とは、人の言葉のちからを借りて、自分を自由にしていくところ、かもしれないと思っている。
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