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映画「福田村事件」…あるいは「排除します」の小池百合子都知事。

はじめに


 長年の友人である私たち2人が、飽きもせず時々一緒に観る映画、展覧会などについて話したことをログとして残しておこう、しかも公開で…って、ちょっと意味がわからない記録だ。
 今まで、まあ、なんだかいろんなものを一緒に体験したな。
 そう言えば、ロンドンに「ロッキー・ホラー・ショー」の舞台を観に行ったな。ニューヨークのリンカーンセンターでオペラ「リゴレット」も観たぞ。一見脈略のない雑食であるが、どちらも有毒な主人公が引き起こす悲劇の物語であった。
 今回は脈略のない鑑賞作品の中から、少し前に観た映画「福田村事件」がお題です。
 この映画は別々に観て、後で「あそこ気持ちわりぃ〜」って盛り上がったんだった。気持ち悪かったのはあそこです。
それではどうぞ。


映画「福田村事件」(2023年)


上映日:2023年09月01日 上映時間:136分
監督:森達也
脚本:佐伯俊道 井上淳一 荒井晴彦
出演者:井浦新 田中麗奈 永山瑛太 東出昌大 コムアイ 他


福田村事件なんて知らなかった


ななみ:映画「福田村事件」を見るまでこの史実を全く知らなかった。
関東大震災の後、デマや噂を鵜呑みにして虐殺が起きた、ということだけは、映画を見る前から知ってた。
仕事でその漫画をちょこっと描いたことあったから。→「まんがクラスメイトは外国人〜多文化共生20の物語」(明石書店)(宣伝でした)あ、まずお断りしますと、以下映画のネタバレ満載です。

バーニー:私も朝鮮人虐殺のことはいつだったか忘れたけど知ったし、部落差別については関西出身の両親から色々聞いてた。
しかし、朝鮮人差別被差別部落差別までが重なる事件があったとは想像もしなかった。
だからこの作品で知ることが出来たのは、この映画の功労ではある。

ななみ:映画の功労でかい。
私は、被差別部落のことはあまり知らなかった。漫画のカムイ伝を読んだくらいで。

バーニー:私は両親が関西出身なんだけど、関西は被差別部落民が多いのかな?それはよくわからないんだけど、親から聞いてた。
同級生に部落民の子がいて、「えった!」とか「新平!」ってからかわれてたって言ってたな。
「えった!」は「穢多、非人」の「えった」で、「新平」っていうのは「新平民」の略なんだけど、明治時代になって「穢多、非人」を平民に編入した時に新たに被差別部落民を「新平民」と呼んだらしいんですけど…この編入っていうのもおかしなことだし、新たな呼称が新たな差別用語なんだけど、当時はそういうものがあったって言うのはよく聞いた。

ななみ:映画「福田村事件」では、香川の被差別部落出身の薬の行商一行が福田村に来るんだけど、田中麗奈演ずる澤田静子が薬を売りにきた二人にお茶を出すと、少年はお茶を拝んで「田舎じゃ、わしらに茶を出す家あらへんです。ありがたいです」って言って嬉しそうに飲むの。

バーニー:歓待なんてされたことがなかったんだろうね。

ななみ:「讃岐の人たちってお客さんにお茶も出さないの?」って静子はとても不思議そう。人として、普通にすることを、なんでしないんだろうっていう不思議。この属性の人たちに対してだけは別にそうしなくてもいいっていうのは、差別で。被差別部落の人たちはそういう日常を送ってきたんだなっていうのが垣間見れる。
瑛太は行商一行の親方をやってるんだけど、なんならこの映画の中で彼が一番かっこよかった。
映画の終盤で、よそ者である一行を襲おうと、福田村のふつうの村人たちが「おまえら朝鮮人だろ!」って武器持って攻めてきた時「朝鮮人なら殺してええんか!?」って一番まともなこと言う。
だけど村人たちは「朝鮮人なら殺していい」って思い込んでて、普通の人々が攻撃に走るのが怖いよね。

バーニー:この映画に出てくる「被差別部落民」と「朝鮮人」の差別というのは、日本の社会が構造的に作り出してきたものじゃないかってずっと思ってて、「士農工商」という身分制度の下に「穢多、非人」と呼ばれる「被差別部落民」の階層を作ったと私は習ったつもりなんだけど、最近の教科書には、「士農工商」と言う言葉が消えて「武士・百姓・町人」という3つの身分とその他に「穢多、非人」が、下ではなく、3つの身分のその他に「穢多、非人」という身分の人がいたとなってるらしいんです。
要するに「下位」に見るんじゃなくて「排除」してきたと、そういう考え方に今はなりつつある。
そうだとしても、差別してきたことには変わらないんだけど。

バーニー:それともうひとつの「朝鮮人」差別っていうのは、明治初期の欧米の帝国主義がアジアやアフリカを植民地化した欧米列強の流れに対して、日本の独立を守るために、多分欧米に飲み込まれるだろう近隣の朝鮮や中国に対し、日本も欧米と同じように帝国主義的な政策を取り、支配する側になろうという福沢諭吉の「脱亜論」が元だよね。
そして日本は日露戦争で勝利し、伊藤博文はハルビンで暗殺され、1910年(明治43年)には悪名高き韓国併合が行われるわけだよね。
文化の抑圧や経済搾取、そして多くの朝鮮人が強制労働や徴兵までさせられるんだけど、それこそが人権の尊重など一切ない差別なわけでさ。

日本の統治下で母国語である朝鮮語の使用を禁止された人々が、朝鮮語辞典を作るという史実をもとにして作られた映画「マルモイ ことば集め」には、朝鮮文化の抑圧が描かれていますね。
日本は、密かに編纂作業をしていた朝鮮語学会を解体させるために、独立運動を計ったとして学会の会員を逮捕しています。


バーニー:同じ人間でありながら、支配する側とされる側という構造は、差別意識の始まりだねえ。

ななみ:支配する側とされる側という分断させて争わせて、っていうのは世界中どこでもあって実際虐殺を生んできた構図だけど、悲しすぎるよね。
映画でも穢多と朝鮮人はどっちが上かと穢多の少年が行商仲間に聞くシーンがあって、仲間の一行のうち、読書家の青年は「上も下もない」ってすぐ答えるけど、別の一人は「わしらの方が上にきまっとるやろ!」と。
そう思うことで安心できたんだろうけれど。

バーニー:行商団は、部落民として今まで多くの差別にあってると思うのね。それが今度は、朝鮮人に間違われて差別され殺されそうになるってさ、どんな気持ちだったろうって。想像を絶する。

ななみ:一方で、穢多として差別されてきたからこそ、差別される痛みがわかる親方の瑛太。彼がかっこよかったよ。
朝鮮飴を売ってる朝鮮人の女の子から、飴を買おうとした時、行商の一行の一人が「鮮人が売っとるものやかし、何が入っとるかわからんぞ。」って止めようとするの。それを聞いた親方が飴をたくさん買ってあげる。
いつも飴なんか買ってくれないから奥さんが「どうしたん?」って聞くと「言われたことあるんじゃ。穢多が売るような薬やかし、何が入ってるかわからん言うて」って。
「穢多は」「鮮人は」「これこれ属性の人は悪いことをするかもしれない」っていう根拠のない思い込みが差別で、福田村事件が起こった原因もそこにあったんだよね。
 このあと親方は朝鮮人の女の子から、飴をたくさん買ってあげたお礼に朝鮮の扇子をプレゼントされる。
扇子くれる女の子の様子がとても可愛いシーンだけど「ああ、後でこれは朝鮮人に間違えられるにちがいない」とヒヤヒヤしながら見てた。

バーニー:朝鮮の扇子は伏線になってたね。
行商団が朝鮮人に間違われた時、お礼にもらったその扇子が見つかり、朝鮮人の証拠だろということになってしまう。

ななみ:あと、日本が朝鮮を植民地支配してた歴史とか、東洋拓殖株式会社という日本の会社が朝鮮の土地を巻き上げてとか、色々知らなかった史実をおしえてもらったありがたい映画ではあるのだが、ドキュメンタリー映画ではないので、どこまでが史実でどこからがフィクションか分からなかったよ。刃物によるスプラッタとか追いかけ回すとかホラーだと思った〜。

バーニー:そだね。史実とフィクションの境がわからない。
閉鎖的なコミュニティで起きた事件と言う意味で、ちょっと血縁や因習や倒錯的な性を描いた横溝正史的な感じもあるけど、金田一先生はやって来ない(苦笑)。

ななみ:金田一先生、来そうな雰囲気だったのに。(笑)

バーニー:やっぱり印象に残っているのは、凶器を持った福田村の村民たちが集まってきて、行商団を襲うシーンね。
あれ、バックに音楽の鈴木慶一のドンドコドンドコ♪といった祭囃子みたいなリズムの音が流れて、暴徒化した人々のドーパミンが爆発してるような異様なシーンとして描かれていたんだよ。
冷静ではない。村人には何かが憑依してるみたいな。

ななみ:史実の虐殺だけで十分エグいのに、さらにエグくしたために、ホラー感、作り物感を感じてしまった。

バーニー:止められない集団心理ってことなんだろうけど、本当はどうだったんだろうって思ったね。

ななみ:うん、はたして、映画みたいに我を失い憑依されたみたいな集団心理だったのか、それとも実は意外と冷静に、お国のためにいいことやってると思って淡々と殺してたのか。実際は、わからないね。
映画見た後、「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」という資料の本を読んだら、川の中まで追いかけて殺傷したという記録が残っていて、そこは演出じゃなくて史実だったんだとびっくり。

バーニー:私も「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」を読みました。作家の辻野弥生さんが福田村事件について、丹念に資料やオーラルヒストリーを集めてまとめられた渾身の史料であるこの本を読むとさらに解像度が高くなる。
行商団は香川から来た行商の一団であることを証明できる鑑札を持っているんだけど、村人の誰ひとりとして信じないよね。
緊迫するやり取りは、この本で生き残りの方が証言されていました。
駐在か何かが警察署かなんかに行って本物かどうか確認してくるからそのままでいるようにって言って出かけたその間に、確認も待たずに襲うのは事実でしたね。

ななみ:襲う、襲う。

バーニー:朝鮮人であろうとなかろうと、一旦朝鮮人と決めつけたものは成敗するっていう正義感みたいなものが村民にみなぎっている。
その暴徒の中には子供をおんぶした女性も、鉈かなんかを持っているんだよ。その女性が一番最初に行商団のリーダーである瑛太の頭を鉈でぐっさりやるんだけど

ななみ:そう、一番先に手を下し、虐殺の口火を切るのが女で。
映画「バトルロワイヤル」で殺し合う中学生の柴咲コウちゃんが斧を持つシーンを思い出したよ。
ちなみに、口火切るのが女の斧ってのが史実か私も気になってその本で調べたけど、福田村事件の加害者については「自警団」と「在郷軍人会」との記述しかなかった。
だから子供を背負った女がまず殺し始めるっていうのは、脚本家の趣味なんだろうなって思った。

バーニー:脚本家の趣味(笑)
福田村には、神輿ごと沼に落ちて泥まみれになる奇祭があることが本には書かれていて、田植え前に田の神様と一体化する泥かけ祭りは日本の各地に見られるらしいんだけど、祭りの時に見られる興奮状態っていうのかなあ、一種トランス状態っていうか、祭りは神事でもあるわけだし、年に一度の発散できる場でもあるし、普段から鬱屈していたものが、スイッチがオンされた時に一斉に、火が付いたように抑えが効かなくなるってメカニズムは人間の中に潜んでそうだなとは感じました。
そういうことが、あの襲撃シーンの演出のもとにあるのかも。

ななみ:その祭りでは泥を人にぶつけていいってことになってて、実はぶつけられる人はかなり痛くて寒くて辛いんだけど、やるしかないという勢いと信仰心とやらねばならない誇りでやっていたと、本に書いてあったね。
「誇り」と「義務」と祭りの興奮状態があれば、普通ではできないこともできちゃう。

バーニー:当時13歳で行商団にいて生き残った方の証言をもとに、かなり忠実に映画で再現されてるなと感じました。

ななみ:そうだね!それによると一人目の被害者が殺されたナタみたいなのは鳶口というそうで「第一番に頭に鳶口が、後は血柱がぱーっとあがりました」と書いてあって、わ、スプラッタも史実なんだって思った。
しつこいけどやったのが、女とは書いてなかった。

バーニー:映画では、朝鮮人かそうでないか判断するために、朝鮮語の発音には存在しない「じゅうごえんごじゅっせん/15円50銭」を彼らに言わせるんだけど、他にも映画には描かれていなかったけど「君が代」を歌ったり、「イロハ」を言ったり、お経を唱えた人もいるってあったのね。
それでも悲劇は起こったわけでさ、もうなんていうか、お上に言われた「国を守る」「村を守る」という正義のためには、朝鮮人である真偽なんかどうでもいいんだよね。いや、なに人であろうと殺してはいけないんだけど。

ななみ:お上に言われた「国を守る」「村を守る」という正義のためっていうのがキモなんだよ。
「国を守るため」「大義のため」人はたくさん殺されてきたし、その思想はいまだに続いている。
「いい戦争なんてない」って映画の冒頭で井浦新が言うシーンがあって、それが大事と思うんだけど。

お上である内務省と警察が扇動していた朝鮮人虐殺


バーニー:私は前に観た韓国映画「金子文子と朴烈(パクヨル)」で、朝鮮人虐殺を煽る流言飛語を内務省が打電してるシーンを見て、「えええ?内務省がやってたの?自然発生じゃないじゃん!」ってあの時に知って驚いたんだ。

ななみ:韓国映画にはそのあたりも描かれてたんだね。
それは観てないので、「福田村事件」で私は内務省や警察の関与を初めて知って「え?どういうこと??」って思ったよ。内務省から「村を守れ」と通達が来たり、水道橋博士演ずる在郷軍人会のリーダーが音頭を取ったり、国側が扇動して。
普通の村人が煽られていくうちに、だんだん興奮が高まって、暴徒と化していくところはわかった。

バーニー:村山由佳さん朴慶南さんの共著「私たちの近現代史 女性とマイノリティの100年」には、戦後、日本テレビや読売新聞のトップとしてメディアを牛耳っていた、当時、警視庁官房主事で社会主義者や朝鮮人の取り締まりをしていた正力松太郎がデマを操る側にいたことが書かれているね。
あの悪名高き正力松太郎ですよ。

正力松太郎について書かれた「正力松太郎 悪戦苦闘」という本の中に書かれた正力自身の証言を引用してました。

折から警視庁より不逞鮮人の一団が神奈川県川崎方面より来週しつつあるから至急帰庁せよとの伝令が来まして急ぎ帰りますれば警視庁前は物々しく警戒線を張っておりましたので、私はさては朝鮮人騒ぎは事実であるかと信ずるに至りました

「私たちの近現代史 女性とマイノリティの100年」より正力松太郎の言葉

警察もいい加減なんだよ。
「信ずるに至りました」って、大して根拠ないんだから。
小説家の尾崎一雄「電柱とか立木に“暴徒”や“朝鮮人”が不逞の行動に出る懼れがあるから注意せよ、井戸には毒が投入されたかもわからないからうっかり飲むなというビラに警察が署名しているものもあった」と書いてたっていうのも引用されてた。
そういうビラは映画にも出てきたね。

ななみ:警察が署名。内務省の通達。ただ震災後の混乱というだけじゃなくて、組織的なものだったんだね。

バーニー:残念なことに当時の少なからずの日本人が、そのお上からの言説を信じたし、朝鮮人なら殺してもいいと思ったし、あの映画の中の福田村の人たちに至っては朝鮮人ではない日本人を間違えて殺すわけなんだが。
今も政治家やらがデマやフェイクを平気で発信するじゃない?
「従軍慰安婦はいなかった」「強制性はなかった」とかさ、今でも言ってる。そういうものに対して、私たちはどうあるべきか?っていう問いかけだよね。暴走する国家と一緒に同じく暴走する国民のメカニズムについて考えないと。

ななみ:デマやフェイクによって暴走する国民がつくられていった歴史がこの映画では描かれていて。
映画の中で千葉日日新聞の編集長(ピエール瀧)がさ、記者の恩田(木竜麻生)に「いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不定の輩のしわざか、犯人不詳の強盗や殺人には必ずそう書いておけ!」言うと
恩田は「嫌です。新聞は凶悪事件をなんでも不逞(ふてい)鮮人の仕業のように書く。毎日こういう記事を読む読者はどう思いますか。こういうのって朝鮮で独立万歳運動が起こってからですよね?!朝鮮人は極悪非道の犯罪者で社会の敵だ。そう思わせてどうしたいんですか?!」というやりとりがある。

実際、震災の一年以上前から東京朝日新聞では、そういうこと、つまり根拠もないのに、朝鮮人が何か悪いことをしているというように思える記事をたくさん発表していた、と朝日デジタルに書いてあった。己の過去の過ちをちゃんと書いて、偉いな朝日新聞。

…大きな事件が起きると「犯人は鮮人か」「嫌疑の怪鮮人」と犯人を朝鮮人と臆測する記事を根拠を示さず報じていた。

朝日新聞より

朝鮮独立万歳運動、または三・一運動は1919年だから、それからだと、4年間。朝鮮の独立をよく思わない日本の国とメディアが朝鮮を悪く言うプロパガンダを流し続けていたことになる。
その新聞記事を鵜呑みにしてきた人々は朝鮮人は何だかよくわからないけれども悪いことをしそうで怖い、という漠然としたおそれを持ってもおかしくない。ある属性の人が危険という、その差別はプロパガンダで作られたとすると。このへん、ナチスドイツがやっていたユダヤ人差別のプロパガンダにかぶるなあ〜〜。
プロパガンダによって差別が作られ、それで恐れた普通の人々が暴走して虐殺に至る構図。

バーニー:日本が大日本帝国時代の話ではあるので、情報の統制があった環境は今とは違うんだけどね。

暴走する人々はいたって普通の人々


ななみ:「普通の人々」がどうして暴走して虐殺に関与するようになるのかというのが森達也監督自身のドキュメンタリー映画「A」から続く同じテーマのようです。
無差別テロを行ったオウム真理教の信者は、とにかく暴力的な人たちだろうとか、宗教で洗脳されてて話もろくにできないだろうという先入観があったけど、この映画と本「A」を読んで、見事に壊れた。
とても普通の人たちだった。

バーニー:オウム真理教の荒木広報部長だっけ?を扱ったドキュメンタリーだよね。私も観たし読んだ。
普通の学生、もっと言えばエリート学生だった人が、「ポア」という概念であんな凶悪な事件を起こしてしまうメカニズムは今も続く大きな謎だよ。

ななみ:うん。荒木氏は穏やかで礼儀正しい。なんなら報道や警察の方がよっぽど理不尽で失礼だったり信用できない面も描かれてて。
荒木氏も他の信者さんも思慮深く受け答えしていて、好感すら持てそうなんだけど。途中で、あれ??って思うシーンが何箇所かあって。
あ、この人、やっぱり組織のやった凶悪犯罪を全然悪いと思ってないんだっていうのが垣間見える。そこが結構怖いの。
でもそれ以外は本当にいい人で、普通で。

バーニー:出てくる他の信者もとても普通の人なのに、あの「サリン事件」の凶悪さとのギャップね。
「福田村事件」も同じだよね。
「お国のため」だったり「教義のため」だったりという思いが、「人を殺してはいけない」という基本的な倫理観を簡単に飛び越えてしまう。

面白い話があってさ、私ら同じ美大出身じゃん。
当時、母校にはオウム信者がいなかったっていう話を教授陣から聞いたことがあって、ちょっと風変わりな人たちじゃん、あの学校の生徒って(爆笑)。
芸術祭とか命かけて(笑)完璧な作り物を作るじゃん(笑)。
私はあの学校の人たちは、オウムが演出に使った幼稚でゆるい象の被り物なんかに興味なんて持たないよなと思ったのよね。

ななみ:美大の芸祭で、学生が作ってた謎の造形物(笑)の完成度、えらい高かったもんなあ。祭りの後に燃やしちゃうのにさ。
祭りってさ、やっぱ燃えるんだな(笑)

バーニー:あの学校を中退した作家の故赤瀬川原平が、オウムの仏像がさ、信仰の偶像がだよ、発泡スチロールでできているっていうのをあの学校の学生が見たらインチキだって思うだろうなって、そんなことを書いてたんだよ。
散々、ギリシャの神々の石膏デッサンとかやってきた人たちを騙すことはで出来ない。発泡スチロールなんだもん(笑)
実際さ、町でオウムの人たちが、象のかぶりものを被って「しょこ、しょこ、しょーこー♪」って歌って踊ってるのを見て、友人たちは爆笑してたもんね。
「インチキ」かどうかの鍵は、細部に宿るんだよね。
思想は細部に宿るから、その細部を逃さないっていうのは対処のひとつであると思う。

ななみ:オウムの出版物、インチキ感あったな〜。
当時私編集プロダクションに勤めてて、誰かがオウムが配布してる冊子もらってきたんだけど、みんなでそれ見てイラストとかデザインが全部なんかのマネみたいだね、これは〇〇に似てる、これはあれみたい、って『マネブック』とか呼んじゃってゲラゲラ笑ってたの覚えてる。
みんな本物の本を作るのに四苦八苦してたから、薄っぺらいインチキな感じには敏感で、そして笑いのツボだったんだ。
オウムはもちろん誰がみてもコミカルな部分があって、わかりやすかったし、自分がダッサって思うもは、斜めから見れる(笑)
だけど、周り中が一つの方向で一色の時、自分が当たり前と思いこんでいる時、疑うとか調べるとか思ってもみない。
実はそこにこそ斜めの視点が必要なんだろうけど。

バーニー:特にこの映画の1923年の大日本帝国下では、言論統制も行われていくので、お上である国家に疑問を持つということはかなり難しかったね。
映画の中の水道橋博士は、バリバリの帝国軍人で「お国のためにあること」を体現している人でした。
「何かが変だ」ということが言えない社会にしてはならないと言うことだよね。暴走途中でも「はた?」と立ち止まれる多様な視点を持つ努力をしていくってことかな。

ななみ:うん、それは、努力が必要。みんながこれこそが正しいと言い切ってる時にそれは違うと思います〜〜って言うのが大変だよね。
実際いまも・・それはあったりして、私はそうじゃないと思うけど、言い返されても面倒だから黙っちゃおうかな、って自分もなりがち。
だけど、「言えない社会」にしないために、ちゃんと自分の視点を言語化していく努力が必要なんだよね、例えそれが集団に逆らうことになっても。
自分が気づいてることを大事にしてあげないとね。
 でもさ、バーニーは昔から、「思想は細部に宿る」って言ってたよね。「あのデザインの靴履いてる人の作るものは信用できない」とか言ってて(笑)それ聞いてバーニーに会う時、靴に気をつけようと思った。(笑)

バーニー:もうね、「思想は細部に宿る」という概念は私の血と肉になってますから(笑)デザインの仕事をしていると、無意識のうちの私の考えが形になっていることに気付きますね。
いいか悪いかは別にして、まさにそれです。

歴史修正を許す社会とそうじゃない社会


バーニー:ところでさ、夏の甲子園大会で京都府代表の京都国際高校が優勝し、ハングルの校歌が流れたことに対しSNSで誹謗中傷が飛び交ったよね。
私は拍手喝采したけど。

ななみ:うん、見るに耐えないひどい書き込みとかあった。
8月23日に京都府知事が民俗差別の悪質なコメントを削除するよう、法務局とサイト運営者に要請したとニュースにありました。


バーニー:主催者の高野連は、ヘイトを許さない声明を出してほしい。
(2024年8月24日時点でまだ出ていない)
京都府の知事の対応は自治体の長として極めて正しい姿勢だと思うな。
それに比べてですね…。

ななみ:東京都の小池都知事ってどうなんだろう。
今年(2024年)も9月1日に行われる朝鮮人犠牲者を追悼する式典に追悼文を出さないと在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)にファックスしたと報道されてるんですけど。

バーニー:早い仕事ぶりに、硬い意志を感じますね。

ななみ:「大震災とその極度の混乱の中で、犠牲となられたすべての方々への哀悼の意を表しています」と記しているそうで、地震の被災者と虐殺被害者を一括りにしてしまうのはどうなんだろう?!

バーニー:だめでしょ。うやむやにしてる。
知事が追悼文を出さないことは、彼女の個人的な人間性や思想性がどうこうではなくて、社会の差別や偏見を容認し反日感情を煽ること、社会の分断を作ることに繋がるのでは?

ななみ:分断・・?そんな風に思ってもみなかった。

バーニー:私もさ、少し前まではこの小池百合子都知事が「関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼する式典」に追悼文を送らないことに対して、ヘイトはいけない、追悼文を送ったほうがいいという漠然とした認識だったんだよ、恥ずかしながら。

ななみ:100年以上前の事件に追悼文を送らなくても、それにどんな問題があるのか、気にしてなかったよ。

バーニー:小池都知事がやっていることは、民主主義の根源を否定することじゃないかって。
民主主義のポイントって「法の支配」とか「表現の自由」とか色々あるけど民主主義の根っこには個人の尊重と平等があるんだということね。
特定の人種、宗教、性別、障害などの属性に対する攻撃的な行為であるヘイトスピーチや差別がダメなのは、人を傷つけたり差別意識を生じさせるからなんだけど、それは言い換えれば、他者の人権を侵害してるんだよね。
ヘイトスピーチ→人権侵害→民主主義の根源を揺るがす…というふうに理屈で考えてなかったんだな、私は。

ななみ:なるほど〜。ヘイトスピーチは人権侵害、だから京都府知事は削除要請という対処をした。一方、小池都知事が朝鮮人虐殺という歴史に向きあっておらず、それもまた人権侵害ってことか。

バーニー:民主主義において「表現の自由」も大事な柱のひとつだけど、それが他者の人権を侵す場合があるということだよね。
調和ある共生社会を維持するためにも、表現の自由と人権の尊重のバランスは難しいことだけど重要。

ななみ:ヘイトスピーチは人権侵害というところに立てば、それを、表現の自由に入れる必要ない、というか入れちゃいけない、と私は思う。
そもそも日本はね、ヘイトスピーチを取り締まる法律がない。

バーニー:あ〜、そこか。日本は立法府に属する人々がヘイトに加担してたりするからなあ。

ななみ:だから言いたい放題になってると思う。
ヘイトスピーチ解消法とういうのがやっと2016年にできて「ヘイトスピーチ許さない」って黄色いポスターが法務省のリンクにはってあるけど、罰則規定がないので、ただのスローガン。
啓発はしているけど、本気で取り締まるつもりが国にある気がしない。

ななみ:実際にヘイトスピーチやヘイトデモが多かった川崎市は市の条例24条で50万以下の罰金という罰則がある。
海外ではもっと厳しい罰則規定を伴った法律がありますね。
例えばドイツでは、1960年にすでにドイツ刑法典130条(民衆煽動罪)として、ヘイトスピーチを禁じている。
「民衆煽動罪」って名前がいいんですよ。

バーニー:「ヘイトスピーチ」という言葉より重い感じがある。

ななみ:そうなんだよ、つまりヘイトスピーチって、具体的には暴力の方向に煽動するものなんだってわかる。
民衆煽動罪は、最高5年の懲役など刑罰が伴い、さらにドイツではネット上のヘイトスピーチ対策としてSNS法もできてます。
フランスでも、2004年にネット上のヘイトスピーチ排除する法案ができていて、2020年にはさらに強化し、24時間以内の削除の義務、最高1億5000万ユーロの罰金などがあるよ。
日本はその辺の法律は遅れているよね?

バーニー:ええ、しつこく言うけど、立法府の人々がヘイトしてるから(苦笑)。そんな法律は望むべくもない。

ななみ:日本のSNSにはヘイトスピーチがあふれまくっている。


バーニー:
甲子園で優勝した野球チームの高校生たちが、ヘイトスピーチにさらされてるわけよ。これはあらゆる大人たちが「だめだ」としなければならない。
で、甲子園でそういうことが行われている中、小池都知事は追悼文を出さないと表明してるんだよね。
先日の都知事選前に、追悼文を出さないことについて小池都知事が記者会見で、朝鮮人虐殺について「様々な見方がある」とか言ってるんだけど。

記者:関東大震災における 朝鮮人虐殺の問題ですけれども、これ、美濃部都政の時から、知事がですね、追悼文を出してきたと。 小池さんの時にそれを止めたと。それでこの追悼分の中で、重要だと思うのはですね、この虐殺の事実を語り継ぐ という部分なんですけれども、追悼文を出さないということは、小池さんは語り継ぐことの重要性をあまり感じていないということなんでしょうか?

小池:東京大空襲など被災された方々の重要な証言などを受け継いでいる作業も今も行なっております。そしてまた、震災については、今年で101年になります。今どうやってこの直下型地震を防いでいくのか、そのための防災、予防的な措置をどうするべきなのか、将来に向けてどうやって命を守っていくのか、そこに集中をしていきたいと考えております。ありがとうございます。

記者:虐殺についてはどうなんですか?

小池様々な見方があろうかと思います。

記者:様々な見方ではなくて、つまり虐殺の事実については、これ、争いがないと私は思うんですけど。
様々っていうのは、ちょっと誠意を感じられない。

小池まあ、それは取り方だと思いますけれども、毎年春の時期にですね、この東京で亡くなった災害において空襲も含めてでございますし、そういった方々のその霊を安らかにということで、このぉ、慰霊のぉ、まぁ、行事を毎年重ねております。

会見動画 28:00くらいから

ななみ:様々な見方って!……

バーニー:そうなんだよ。
小池都知事は「一部の歴史家の意見に基づいて行うべきではない」とも言ってるんだよねえ。
もともと、ご自分の歴史も改ざんしている可能性があるわけでしょ、学歴というご自分の歴史ね(笑)
あとさ、彼女は希望の党を結党した時に、前原誠司氏が率いる民進党が合流するかとなった時、政策や理念が違う人について「排除いたします」って言った人だからね。多分、もっと適切な言葉があると思うけど、そういうことを言う人。
政府も政府でこの朝鮮人虐殺について「政府内で確認できる記録が見当たらない」と、寝ぼけたことを言っているんだけど、朝鮮人虐殺についての史料はすでにたくさんあるし、アメリカのGHQが震災時の政府の動きを記録してます。デマの拡散に国が関与していたことをね。
日本の為政者が大好きなお友達であるアメリカが(苦笑)

ななみ:歴史修正で思い出すのは、映画「肯定と否定」

バーニー:観たよ。
実話をもとにした映画だけど、デビット・アービングというホロコーストを否定する歴史修正主義者のおじさんが、アメリカのユダヤ人でホロコースト研究の歴史学者を訴えるんだよね。
恐ろしいことにこの歴史修正主義者を支持する人々がいるんだよなあ。

ななみ:「ホロコーストなんてなかった」というその主張自体が、ホロコーストの被害者、生存者を苦しめている、侮辱している…と映画の中でひしひしと感じた。ちなみに、ホロコーストはなかった、ユダヤ人は虐殺されなかった、ということが、ドイツでは先述したヘイトスピーチの規制の法律と同じ、民衆煽動罪です。
その第3項「…ナチスが行った民族謀殺を是認・矮小化し、またはその存在を否定することを禁止する」
つまり、虐殺した歴史は全くなかった、あるいは大したことはなかった、と言うこと自体が禁じられている。
それを犯すことは民衆煽動罪なんです、ドイツでは。

この映画の裁判の後、実際のアーヴィングは、懲りずにホロコースト否定説を言い続けて、オーストリアで逮捕されてる。
そこで三年服役の判決を受けてます。
ドイツとオーストリアだけでなく、ヨーロッパ大半の国と、イスラエルとカナダでもホロコーストの否定は禁止されている。
虐殺の歴史を否定することは、その被害者に対しお前の訴えは嘘だ、と言ってることになるし、再び民族差別を起こすことになるからね・・・

バーニー:
日本にも必要だなあ、そういう法律が。
憲法による人権の尊重くらいでは、もう追っ付かなくなってるって、SNSの
ヘイト投稿を見ると感じるね。

ななみ:アービングは腕に番号の焼印の入った女性の写真見ながら「この人はこれでどれだけ金もらったんだ!ホロコーストなんてなかったのに」ってゲラゲラ笑ってたよね。

バーニー:あのアービング役の俳優がまた小憎らしくて(苦笑)
でもその言説って、日本にもある「在日特権」というデマと同じだよね。在日朝鮮人には特権があるんだと言って、差別にさらに輪をかける。
憎むべきものを言われのない特権階級に仕立てて差別を煽る。
そんなものは存在しないのに。

ななみ: 私ね、以前イスラエルに旅行した時、宿のおばさんの腕に数字が入ってたのを見たのをあれで思い出した。
最初、なんの数字だろうってわかんなくて。
しばらくして、ああ、強制収容所のかって。
つまり、そういう、強制収容所の生き残り、目の前で人がどんどん死んでくのを見てきた人たちが大勢いて、アービングの裁判の時はまだまだ生存者もいて、裁判の行方をとても辛そうに見ていたよね。

バーニー:そこだよね。
被告である歴史学者リップシュタットの弁護団は、被害者であるホロコーストのサバイバーを証言者として法廷には呼ばず、丹念に原告の歴史修正主義者のおじさんの主張の歪曲を否定していく。
サバイバーを証言台に立たせることは、セカンドレイプと似た心理的ダメージを再び与えるからなんだよね。それは歴史修正主義者のおじさんと同じことを被害者にしてしまうことだから。
歴史学者のリップシュタットはサバイバーに証言させたいと思っているんだけど、弁護団は絶対にさせない。その戦略がね、法律家ができる当然の被害者の人権に対する尊重なんだよね。あれは唸ったな。

ななみ:うん。弁護団の作戦が秀逸。
万が一にも裁判で、アーヴィングの主張も一理あるとなれば、ホロコースト被害者はなかったことにされ、記憶されなくなってしまう。
そうならないように戦ってくれてた。
一方、われらの東京都が、震災後の朝鮮人虐殺について、無かったかのような態度をとることは、被害者、生存者…はもう生きていないけれど、その遺族をを苦しめることになるんだよね。

バーニー:自治体の知事には知事ができる人権の尊重という仕事をして欲しい。映画「肯定と否定」で法律家が法律家の仕事をしたように。
大戦時に日本と「三国同盟」を組んでたナチスドイツは、戦後、政権を無きものにして、国が率先して負の歴史を受け入れて自己反省する努力をしてるよね。

ななみ:歴史と自己反省かあ〜。映画「顔のないヒトラーたち」ではちゃんと歴史に向き合って反省した姿が描かれていて好きな映画なのだけど。

ななみ:それでも戦後すぐの50年代のドイツでは、アウシュヴィッツなどの収容所で虐殺に関与した元ナチス党員何万人もが裁かれることもなく、普通の生活を送っていたのが描かれています。

バーニー:裁かれるまでに時間が掛かるんだな…。

ななみ:それを知った検事は戦時アウツビッシュで虐殺に加担した8,000人の罪を裁くために奔走するのだけど、国の権力は加害者側を擁護するんだよね。過去の出来事は終わったものとして、有耶無耶にしろと圧がかかる。

バーニー:自分の加害の歴史を認めるのことの大変さ。

ななみ:「不運な歴史との線引きは必要」と言われ、虐殺に関与したものを追うのをやめるように言われるの。

バーニー:しかしうまいこと言うね、「不運な歴史との線引きは必要」って。
うっかり納得しそうになるな(苦笑)

ななみ:そこで、思い出したのが安倍元総理の70年談話。

バーニー:70年談話?なんだっけ?

ななみ:「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と安倍総理は言及したんですよ・・・、謝ることをやめましょって。

バーニー:あ〜〜〜、言ってたね。
歴史に向き合わず、己の負の歴史をやり過ごしたい人たちって、古今東西、同じ事を言ってるじゃん(笑)
当事者がきちんと謝罪してこなかった上に、歴代の為政者が従軍慰安婦はいなかったとか強制性はなかったとか言い続けるから、周辺国からいつまでも謝罪しろ、補償しろっって言われるんだよ。
安倍さんのお爺さんはA級戦犯容疑者として逮捕され、戦後、首相として返り咲いた岸信介元首相だよ。孫としてお爺さんに肩を持つ気持ちもわからなくはないけど、国のトップとしては問題ありだよね。

ななみ:岸信介が謝らなくて、孫も謝らなくて。歴史の事実はうやむやに・・・。

バーニー:うやむやにしたいのは加害者だけで、被害者はずっと苦しむ。逆を考えればわかるじゃん。広島、長崎の原爆の被害者。沖縄は未だに基地を押し付けられて苦しんでいる。

ななみ:映画「顔のないヒトラーたち」で描かれていたのは「不運な歴史との線引きは必要」と当局から言われた時に、主人公の検事は「その逆だ。事実をもみ消す方が民主主義に反する」と答えるの。
それで戦時に虐殺に関与した者たちの裁判に繋げていくのね。
歴史の事実をもみ消すことが民主主義に反するって?どういうことって?わからなかったんだ。民主主義って選挙で多数決って物事決めることくらいしか思ってなくて。

バーニー:それこそが何度も言うけど、「基本的人権の尊重」と「多様性の尊重」なんですよね。それは民主主義の根幹。
だから
主権を持っている国民は選挙で、国民の代表を選ぶことができる。

ななみ:基本的人権も多様性も民主主義なんだね。
だから差別や虐殺の歴史の事実をもみ消すことが民主主義に反することになるんだね。なるほど。


歴史と向き合うことから始めたい


バーニー:今年2024年の追悼集会に、小池都知事が追悼文を出さないことについて、すでに批判の声が出ています。
東京大学で虐殺学を研究している外村教授は「定まった評価を受けている学説への信頼を毀損(きそん)している」と小池都知事を批判してるよね。
その通りだと思う。

一方で、6,000人余りいたとされている朝鮮人虐殺犠牲者数などを問題視しして、追悼碑の撤去を求める「日本女性の会 そよ風」という団体もいるんだよね。
この団体は2019年の追悼式の際に、式が行われた公園において「朝鮮帰れ」「お前らはゴミ」などと発言し、東京都に「ヘイトスピーチ発言をした団体」として認定された団体なんだよ。

ななみ:えっひどい。「そよ風」って団体は何をやってるの?

バーニー:公式サイトを見ると、群馬の森 朝鮮人労働者慰霊碑撤去運動も展開してるんだよねえ。朝鮮人虐殺も朝鮮人強制労働も歴史的事実なわけで、それをウォッシュしようとする活動をしているところを見ると…。

ななみ:それは…歴史修正だね。
そして東京都自体は団体の発言をヘイトスピーチと認定しているのに、
その自治体の知事は追悼文も出さず、見て見ぬふりか。
それでいいの?

バーニー:ダブルスタンダードよね。

ななみ:福田村事件」に話を戻すと、映画の中の恩田記者が言ってたように、朝鮮人の差別って地震の混乱で急に始まったじゃなくて、その前4年間もずっと国やメデイアによって煽動され続けてたってことだったよね。

関東大震災で床に落下してしまうご真影。映画「福田村事件」より

バーニー:朝鮮人や中国人差別っていうのは、明治になり、天皇のご真影を有難がったり「教育勅語」なんかの日本人が天皇に忠義を尽くす道徳観や愛国観を植え付けられていたところに、朝鮮の人々が日本に多く来るようになり、日本人の目にも入るようになってきて、少しずつ違和感を抱き始めていたところに、内務省や警察によるデマがあって差別の意識が高まったというのが、当時の庶民の感覚じゃないかな。
同じことを繰り返さないためには、「福田村事件」が起きたその背景や、普通の人々が残虐な行為をしてしまうメカニズム、そういうものを私は考え続けていきたいと思う。
そういう意味で映画「福田村事件」はそのとっかかりを与えてもらったなと思う。
そして民主主義社会の自治体のトップは、多様な価値観を持つ人間たちが幸せに共生できる社会を導く努力を率先してやってもらいたいな。
そのひとつが小池都知事が追悼文を送付することです。

ななみ:いろいろ勉強になりました。
三一運動の教会焼き討ちのこととか、澤田智一(井浦新)の語りで、初めて知ったし。とても心に刺さり、自分の中では映像で見た記憶になってたくらいだ。福田村で起きたこと以外にも、その背景にある、差別の歴史、日本が朝鮮の植民地支配でやってきた歴史について教えてもらった、本当に意義のある映画だったのだ・・・。



ところで、映画「福田村事件」は女性の描き方が共感できない…


ななみ:実は、この映画を観て二人が一番盛り上がったのは、この映画の中で描かれる気持ちわる〜〜〜ってとこだったね。
エロの部分が、気持ち悪かった。
そして女性の描き方が、残念すぎて。
女は感情的で煽情的、直情的、ヒステリックか、エロか、もしくはホラーな描き方をされている被害者か加害者で、記号みたいな女性ばかりに感じられて。

バーニー:気持ち悪い柄本明とのセックスシーンなんてどんな必要性があるのか全くわからない。若い男が戦場に駆り出され、行く当てもない女性の性欲は村の老人に向くとかいうことが、百歩譲って仮にあったとしてもだよ、それをわざわざ描くことが、この映画のテーマを表現する際にどう必要なのか、意図がわからなかった。

ななみ:わからない。キモい。
あと女の方から「わたし欲しい?」と男に言いよる場面。
そんなこと言う女性、実際にいる?いないと思うよ〜。
少なくとも私はあんな場面であんなこと言わないし言いたくないし言う人に嫌悪すらあれ共感できない。
唯一正気で正義みたいな女性の恩田記者は映画の中の良心かな。
正論を言う駒として存在してくれてありがたかったが、迷いもないので、共感するには立派すぎた。
当たり前の弱さを抱えた人間が葛藤しながらも正しい方向へ頑張る・・的な、私が共感できるような女性はいなかったよ。
セックスを描く必要がそもそもあったと思えないけど、必要があったとしても、女性の性のあり方が真摯に描かれていると思えず。
エロが気持ち悪すぎて、映画のいいところ全部飛んじゃったよ。
ロードショー見た後の感想が「気持ち悪い」だった。

バーニー:あとで森監督のインタビューを読むと、脚本家が書いたものを強く断れない的な感じでずるずるとあのシーンを入れたみたいだった。
朝鮮人差別に被差別部落差別を描く映画なんだから、あのシーンには女優の権利を守るインティマシーコーディネーターは当然入れましたよね?と大きい声で問いたい。

ななみ:インティマシーコーディネーター入れてたかな?
この作品の脚本を書いた荒井晴彦氏、1991年のこの人のインタビュー記事が掲載されてる別冊宝島「シナリオ入門」がなぜがうちにありまして(苦笑)あ、「福田村事件」の脚本書いた人だ!どんな人だろう!と読んでみたら、彼の作品のリストに、私の好きな映画もあったんだけど、70、80年代にロマンポルノの脚本たくさん手掛けている方だったのね。それで、昔されたお仕事についての表現が、読んでいて辛かった。その世界知らないから。。タイトル見るだけでも無理って思った。

バーニー:ひ〜〜〜。本当に脚本家の趣味だったのか!

ななみ:昔のロマンポルノとかピンク映画とかってそういうものでそれで当時は評価され、収益もたくさんあげていたのだろうけど。

バーニー:古い時代の感覚がアップデートされていない人だね。

ななみ:ああ、この脚本家の人は女性の性についての描き方は、この時代からそんなに変わらないまま福田村事件にもそれが反映されているのかなぁと思ってしまったよ。
とにかく、朝鮮人の人権、被差別部落人の人権を描く尊い映画であったのに、エロが気持ち悪〜〜〜い!!で全部飛んじゃったんだよ。
このnote書くためにU-NEXTで見直すまで、こんなに意義にある映画だと気づかなかったよ。


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