推しカプと一緒に生きたい


4回目の再燃

推しカプにさよならした日から1年ほどたって、私はあっさり推しカプに再燃した。さよならした理由については、前の記事に書いたが簡単に言うと自分が受けに自己投影しており本当の意味で推しカプを愛せていなかったことに気が付き絶望したことと界隈に疲れて推しカプ自体にも疲れたことだ。そして、再燃したきっかけは、推しカプがよく行くであろうバーと言うものに初めて訪れて軽いお酒を飲んだこと。そこに居る推しカプを感じて会話やシチュエーションが久しぶりに頭に湧いてきて、漫画を描きたくなった。それから、推しというのは、自分がなりたい対象なんだと言うことを一緒にお店に行った子に話したら共感して貰えたこと。自己投影を後ろめたく感じていたけど、自分と似ていて、でも憧れている、共感しているけど、目標とする存在、私にとって今の推しはそんな感じ。自己投影、自分と重ねて考えること、は全然悪いことでは無いと思った。そして、推しカプは、やっぱり私の人生においてとても憧れる関係性で、やっぱり私の心にピッタリなんだと思い出した。また好きになった。また一緒に生きていくことを考えるようになった。ちなみにこのカプに冷めるのは中学生当時から数えて4回目、再燃も4回目だ。

冷めるなら好きになりたくない?

完全に推しカプに冷めていた。そして、暫く夢女子だった。7月に出会ったばかりの推しキャラと結婚したいとか言ってた。それなのに12月に同ジャンルの別キャラにハマって乗り換えした。夢女子なのに、即乗り換えしたことに非常な後ろめたさを感じながら、2番目の推しキャラが可愛くて楽しかった。そして3月、推しカプへの再燃で、同じ後ろめたい気持ちを前の夢ジャンルに感じてしまっているのだ。好きって言ったのに、別のカプ、別のキャラのことを考えて、前の推しを考える時間が減ることに、私は凄く、自分の冷たさや軽さを感じてしまって嫌なのだ。でも、心は正直だし乗り換えしたもの、再燃したものはもう仕方がない。逆に、また夢ジャンルが本命ジャンルになる時も来ると思うし、1度好きになった人やキャラは、好きになったそれなりの理由、自分の人生に関係している要素があるから、絶対に再燃する。そう信じて、今は今好きな物に全力投球しようと思った。後ろめたく思うの、もったいない。私の体はひとつしかないし、複数ジャンルの推しに同時に萌えることなんてできないんだよ。1度冷めたものに、何かのタイミングで再び恋をするって、面白いし嬉しいことだ。

神絵師になれなくていいかも

私は絵を描くオタクだ。
但し、ネットに載せてもあんまり伸びない。技術もないし、交流もできないし、大して熱狂してない(Twitterで毎日熱狂してる他のファンと比べて、ね)から語りもできない。大学生の時、Twitterで伸びてる推しカプの神絵師に憧れて奮闘したけど、自分には無理だと悟って、その時の色々なストレスが記憶に残って、推しカプを考えると同時に色々なネットのストレスも蘇る体になってしまった。(他人の創作読めない病も患った)
そもそも私が推しカプにハマったのは、中学生の時にpixivで見た神絵師達の作品のおかげ。私もそうなりたくて頑張ったけど、それは無理だった。自分って対して絵が上手くないんだというつまらない客観的事実を手に入れて、私はTwitterをやめた。でも、また推しカプの絵を描きたいんだ。というか、再燃した次の週に、早速漫画を描いた。これはかなり早い。心の動くままにとりあえず推しカプを描く感覚を思い出した。嬉しかった。1年のブランクがあるが、意外と描けた。そして、描きながら、またネットで公開することを考えた。が、それを思った途端とてもお腹が痛くなって、公開はやめておこうと思った。どうしても神絵師になりたいと思っていた時、私は、大手の解釈を研究しまくって自分もその解釈になり、大手の絵を研究して寄せて、私の憧れていた神絵師の描いた推しカプと似たものを描けるようになりたいって思ってた。でも、ある時気がついた。それになんの意味があるのか。神絵師はもう存在するから、似た存在はいらないし、認められるために今の解釈を変えるって、本末転倒だ。
私は、思い出した。別に、解釈なんてなくても、知識がなくても、私は推しカプが好きだし自分なりに絵が描ける。まあ、神絵師と比べることはやめれてないから、自分の絵、拙いな、推しカプはもっとこういうかんじ、もっと違う感じ、みたいな、マイナス感情は感じてしまうけど。だけど、とりあえず、前回と同じ道(界隈の大手解釈に疲れて推しカプ自体からフェードアウト)は辿りたくない。いいねや感想が来たらそれは嬉しいが、他のオタクの解釈に無意識に寄せた創作をしてしまうなら、別にオタクの共感なんていらないから自由に描いた方がいいと思う。それに、感想だって私の考えと違う感想や交流目的の感想も多かったし。1人で、誰にも見せず好きに描いて、好き、萌える、って思ってれば、良くないか?って、今は思ってる。

推しカプと一緒に生きたい!

4回も冷めた推しカプに、今度こそ今度こそ最後だろうなと思って冷めたカプにまたハマって、もう、私はこのカプに向き合って生きていこうと思った。私の人生と推しカプは、やっぱり切っても切り離せない。でも、特別なことをしたい訳じゃない。神絵師になりたいとか、素晴らしい解釈を持ちたいとか、そういう、単純な好きを超えた目標を持ってしまうと私は潰れる。私は推しカプの神になれないけれども、推しカプに支えられて幸せになることが出来そうなら、まあ、いいかと思います。

今日は短め。おわり!

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