撤去中の旧荒瀬ダム(球磨川)|201508
全国草原再生ネットワークが、日本自然保護協会(NACS-J)が主催する「日本自然保護大賞」の教育普及部門を受賞したので、3月に東京で開催された受賞講演会に出席した。その講演会に合わせて「ダムネーション」という映画が上映された。アメリカで進むダムの撤去にまつわるドキュメンタリー映画で、撤去へと至った動きはすごいなぁ、と思ったけど、その「やり方」には素直に共感できなかった(僕はグラフィティを現代芸術として扱うことに、ストンと納得いっていない。芸術に限らず、何かを成すために、力ずくで他者の権利を侵すことは、やっぱり良くないと思う。)。でも、だから、僕にはできない「コトを動かすチカラ」というのがあるのだとも思う。
そんなこともあって、沼田眞賞を受賞されたつる詳子さんの発表に救われた気がした。つるさんは、長年にわたって球磨川流域の自然環境を良くするために動き続けた方で、ダム撤去も流域の人達が作った大きな「うねり」によって実現された。ご本人に、こんな根気の要る活動が長い間続いた理由を問うと、「球磨川に関わっている人は、球磨川をみんなの川とは思っていない。みんな「オレの川」と言う」という、とても印象的な答えが返ってきた。
その現場を、今日、降ってみた。写真では何度も見ていたのだけれど、実際に見て大きさを体感した。ダムがあった時に水没していた範囲の護岸は、やっぱり削れ方や植生が違っていて、まだ名残が見られる。それでも、堤体直近を含め、河道には瀬や淵がちゃんとあるし、魚の姿も感じられた。浅瀬には大きなコイがたくさんいるし、稚魚もわんさか見た。堤体直下には州が伸びて、湾処もできている。しっかりと水量があるから、回復も早いのかな、と思った。
それから、川岸から川に降りる階段や道路がたくさんあって、川舟も数箇所に繋がれていた。上流部ではラフティングや川下りなど観光客向けの舟が出るみたいだけど、旧ダム付近では(観光ではなく)人の生活が川と密着していることを感じられた。太田川ではほぼ失われた風景。
ダムを造るということは、それなりの理由があるのだろうとは思う。それでも、失うものがなんと大きいのだろうかと思う。荒瀬ダムは、芸北近辺にあるダムに比べれば小さい。その小さいダムでさえ、撤去するまでに長い年月と多くの人の労力が費やされた。ここで使われたコストが、単に一つのダム撤去に留まらず、現存するたくさんのダムや現在計画中のダムの存在意義を問い直すことに活かされなければもったいないと思う。自然の面からだけでなく、長い年月を経てそこに集落があるということは、風土と結びついた意味があるのだから、ダム建設で村を移転させても、文化は移転できない。
解体された堤体を眺めながら、こんなことを考えてみて、あぁ、やっぱり「普通にあるもの」に思いを寄せることは難しいことなんだなぁ、と実感した。希少種がいなくても、写真映えがしなくても、人工構造物の無い場所の大切さを普段から共有しておきたいなぁ。
上流から。
日本でここにしか無い工事看板。
横から。
下流から。
葉木駅の下から降る。
ダムっぽい岸。
途中、瀬や渕ができていた。
堤体が見えてきた。
でっかい!
左岸側。
ここもいずれ壊されるはず。
ぱっかりと開いた堤体。
「荒瀬ダム本体等撤去工事 発注者 熊本県」なんかかっこいい。
遠くからでも不思議な光景。
増水時に貯まった皪は、水面から80cmくらいあった。
係留された川舟と、そこに降りられるようになっている護岸。
昔はたくさんの人が利用していたのか、立派な駅舎。今は無人。
15分くらい遅れてやってきた列車。来ないかと思ってドキドキした。
荒瀬ダム跡の上流にある瀬戸石ダム。荒瀬ダム撤去が、大きな小さな一歩だと実感される。
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