芦沢さんとぼく 第10話 辛い時、辛いと言えるかな?
哲也さんに「芦沢さんと話すからいいです」と電話を切られ、初めて哲也さんが芦沢さんのところに面談に来る日を迎えた。私はどうしたら良いのだろう?と思っていると、芦沢さんからは「いつも通り、面談に同席して下さい」と言われた。私はどうすれば良いのだろう?そして、芦沢さんはどうするのだろう?
予定の時間になると哲也さんはやってきた。面談室に芦沢さんと私が一緒に入ると、哲也さんは私の顔をずっと見つめていた。私は直接、顔を見るのが怖くなり、下を向きながら、芦沢さんの隣の席に座った。
「こんにちは、哲也さん」
「こんにちは」
「2週間、留守をしていて、申し訳ありませんでした。今日から、再開させて頂きたいと思います。私のいない間は、田中さんに哲也さんからのお話を聞いてほしいと私がお願いをしました。2週間の間、哲也さんと田中さんとの間でどんな話があったのかは、田中さんからは聞きました。田中さんから哲也さんが嫌な気持ちになったこととの話を聞き、申し訳ない気持ちになりました。私が田中さんにお願いをしたので、私にも責任があると思います。申し訳ありませんでした」
「申し訳ありません」
「哲也さん、田中さんからはどんな話をしたのかを聞きました。でも、哲也さんからはお聞きしていません。哲也さんから、どんな話なのか私に教えて頂くことはできますか?」
「どんな話?」
「はい。どんな話をしてくれたんだろう?」
「ぼくは、動画を見ているんです」
「動画?芦沢さんがあまり見ないからよく分からないんだけど、YouTubeってこと?」
「YouTubeです」
「はい。YouTubeで何を見ているんですか?」
「男性がバカなことをする映像です」
「バカなこと?どんなことをしている映像なんですか?」
「知らない人に大声で騒いでいたり、脅していたりする映像です」
「その映像を見ていて、どんな感じなんだろう?」
「ぼくはバカなことをしているなと思って、それを田中さんに説明し、田中さんもそう思うか聞いたんです」
「そうなんですね。哲也さんはどんなところがバカだなと思ったの?」
「だって、周りが嫌がることが分かっているのに大声を出して、それもいい年しているのに」
「年齢を考えて、行動しろよってこと?」
「はい」
「それを田中さんに賛同してほしかったってこと?」
「はい」
「そうなんですね。哲也さん、一つ聞いて良いですか?その動画の人って有名な人なの?芦沢さんが分からないから教えてもらいたいんだけど、YouTuberとかで、知られている人なの?」
「違います」
「哲也さんは知らない人?」
「はい。知らないです」
「動画って沢山挙がっているんだと思うけど、そういう映像を見ようかなと思ったのは何か理由があるの?」
「理由ですか?」
「理由。例えば、おすすめとかで挙がってきているから、何となく見ているの?それともそういうものを哲也さんが選んでいるの?」
「1回、他の動画を何となく見ていた時に、流れてきた動画で変な人が出ていて、その人の言動が気になって、その人の過去に投稿していた動画なども見るようになったんです」
「そう。気になったところはどんなところなんだろう?」
「周りが困っているのに、大きな声で話し続けていて、迷惑だな、この人って思いました」
「気になった理由ってありそうですか?」
「僕は学校に行っていた時に上の学年の人にいじめられていた。こっちの話も聞かず、大声で話し、止めてくれと言っても止めてくれなかった。だから、そういう人を見ると、許せない気持ちになる」
「そう。嫌なことを思い出させてしまいましたね。ごめんなさい。今、気持ちはどうですか?」
「大丈夫です」
「何か嫌だなと思ったことがあったら、教えてください。芦沢さん、他の人と電話していたら、折り返すようにします。何か確認しておきたいことはありますか?」
「ありません」
「では、また次回、お話をしましょう。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
面談が終わり、哲也さんは帰っていった。
「芦沢さん、ありがとうございます」
「お疲れ様でした」
「芦沢さん、一つ聞いて良いですか?」
「はい」
「芦沢さんは哲也さんがいじめられていたことを知っていたんですか?」
「知らないです」
「何で分かったんですか?」
「分からないです。分からないから聞きました。私は哲也さんが話す内容ではなく、何でその話をするのか、したのかが気になりました」
「話す内容は気にならないですか?」
「田中さんは哲也さんが大声を出している動画を見ていると聞き、その内容について聞いていたと思います。」
「はい」
「でも、私はその動画を見ていない。見ていない動画のことを哲也さんが言い、それに対してどう思うか聞かれ、答えることができるかと言えば、私はできません。動画の内容は分からないので、私は哲也さんがその動画が気になり、その上で私たちに話した理由に焦点を当てることにしました」
「でも、芦沢さんは哲也さんがいじめの話をした時にそれ以上、突っ込んだ話を聞かなかったのはなぜですか?」
「今の私にはそれ以上、聞く必要がないからです」
「聞く必要がない」
「そうですね。逆に田中さん、なぜ聞く必要があると思いますか?」
「彼にとって嫌な経験を自ら話したのであれば、それを聞くことで彼の気持ちが楽になるんじゃないのかなと思いました」
「嫌な経験を話すと楽になりますか?」
「楽になると思います」
「なぜ?」
「なぜ・・」
「その理由を田中さん、答えられますか?」
「嫌な経験は出した方が良いと思います」
「そうですか?それは田中さんの考えであって、哲也さんはそれを望んでいますか?」
「・・・」
「田中さん、かさぶたは何であるんでしょう?」
「何で?」
「かさぶたを破って、傷にする理由はありますか?」
「ありません」
「哲也さんにとって吐き出すことが必要なタイミングであれば、それも必要かもしれません。でも、私は今ではないと思います。私は哲也さんの嫌な思いを吐き出してもらうために聞いていません。何で哲也さんがその動画が気になったのか、その理由が分かれば、今日はそれだけで私は良かった。私が哲也さんの話を突っ込まなかった理由は、その必要が今日の私にはなかったからです」
「・・はい」
「私たちはこの仕事をしていれば、相手が辛い気持ちを話してくれる。そう思ってしまいます。そして、辛い気持ちは話せば楽になる。だから、吐き出せば良い。そう思いがちです。でも、辛い時に辛いと言うのは、本当はすごく難しいことだと私は思います」
職場帰り、私はスマホとワイヤレスイヤホンを繋ぎ、音楽をかけた。芦沢さんが聞いてごらんと教えてくれた曲。アクアタイムズの「決意の朝に」。「辛い時、辛いと言えたらいいのにな~」、サビでそう歌う曲を聞きながら、私は歩きながら、「辛いって私は言えるだろうか?」と独り言を言っていた。
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