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言葉を取り戻す

 「言葉を取り戻す」NHKラジオ「キクコトノミライ」でジェーンスーさんが話していた。その言葉がずっと残っている。人は生まれ、育つ中で言葉を覚え、使えるようになる。でも、社会で生活をしていく中で、置かれた環境、場に合った言葉を使うことを求められるようになる。社会での生活が苦しくなり、人と話せなく、話さなくなれば、言葉を失うことになる。
 
 10代の頃、私は自分が何をしたいのか分からず、イギリス、インドネシアなど、外国籍の人が多く暮らすアパートで生活した時期があった。住んだ場所は土地勘もなく、知り合いもいないところ。1か月、外出はスーパーへの買い物と手元にあるお金で各駅電車に乗り、着いた駅の周辺の徘徊。誰とも話さない生活を送る中、たまたまかかってきた家族からの電話に出た時、自分の口から言葉が出てきたことに驚いた。言葉は使わなければ、使えなくなる。そう思った。

 私が相談を受ける人の多くは不登校、ひきこもりと社会では言われている。社会が設けたレールから外れてしまい、家で、自室で日々を過ごす彼ら・彼女ら(以下、本人)。話すのは、同居の家族。殆どが母親。母親とも話さなければ、誰とも話をしない。言葉のない生活を送る。そんな本人に出会う。初めは会えない。殆どが拒否をされる。拒否をされることが続くが、ある時点で会ってくれることがある。ただ、話を聞こうと私が思っても、本人から聞かれるのはワンフレーズ。「はい」、「いいえ」、「別に」、「特にないです」、「変わらないです」・・。何を聞いても、同じ言葉が続く。

 会うことを繰り返す中で、少しずつ言葉が出てくる。「はい」、「いいえ」以外の話が出てくる。人との関係で苦しんだ本人。人と接する、話すことの恐怖がある。そんなふうに勝手に私は思っていた。恐怖の対象ではないと私のことを思うようになれば、話すことができる。そんなふうに思った。
 でも、「言葉を取り戻す」と考えれば、言葉を使う機会を失い、言葉を使うことを避ける生活を続けた本人が、すぐに言葉を使えるようにはならない。言葉は使い続けることで、語彙も増え、バリエーションも豊かになる。

 「クローズアップ現代+」の取材に協力をしてくれたオサダさん。彼は自分自身の経験を本にした。文章に集中すると、他のことが気にならなくなる。他の人に知ってほしいと思う。そう話していた。言葉を取り戻した時、自分以外の他者、社会を改めて意識することができるようになる。

 ひきこもり支援のゴールは、私にはない。就労や対人関係の構築を挙げる人もいる。でも、それはその人達が望ましいと考えるゴールであり、私にはゴールとは思えない。ゴールはない。そう話すと、専門職なのに無責任。そんな声が聞こえてくる。ゴールを設けなければいけないのであれば、今の私にとってのゴールは「言葉を取り戻す」。本人が自分の言葉を取り戻すことができた時、そこで何かが生まれてくるような気がする。

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