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芦沢さんとぼく 第11話 辛いです

 「辛い時は、辛いとはなかなか言えないですよ」、芦沢さんはそう話していた。アクアタイムズの「決意の朝に」をあの日以来、行き帰りの通勤時にスマホから流し、聞いている。「私は辛い時に辛いって言えるだろうか?」

 私は何となく福祉の大学に進学した。中学生の頃に友達の輪の中に入れず、一時休んでいた。高校に進学した後も何となく同級生の輪の中には入れない自分がいた。だから、進路を選ぶときに、心理や福祉に関心があった。本当は心理学科に行こうと思った。輪の中に入れなかった自分。その原因がどこにあるのか、それが知りたいと思った。でも、もう一方でそれを知ることが怖かった。知ることで自分の良くないことを受け入れないといけなくなる。だから、心理だけでなく、福祉も学べる学科を選んだ。

 精神保健福祉士という資格は入学してから知った。自分のことには向き合わず、制度を紹介して人助けができる。そんな資格だと思った。実際、大学で学ぶ科目は法律や制度を学ぶものばかり。自分がどういう人間なのかを迫られることはない。何か法律や制度を知ると、自分ができる人間だと思うことができた。成績も良かったから、公務員になることを親などから勧められた。自宅から近いところに相談機関もあり、そこに勤められれば、楽だなと思った。思い描いた通りに、公務員試験に受かり、望んでいた配属先にもつくことができた。

 でも、今、私は避けてきた、自分は何者なのか?を問われているような気がする。芦沢さんから、「辛い時に辛いと言えますか?」と言われ、正直ドキッとした。私は辛い経験をしないように生きてきたから。辛い経験をしたくないと思ってきたから。辛い時に辛いとは言えないから。それを何となく、芦沢さんに見透かされているように感じた。私はどう自分と向き合ったら良いのだろう?逃げたい。でも・・・。

 そんなことを悶々と考えていた。そんな時に新規の相談が来た。お母さんに連れられ、中学生の新田優さん(仮名)が来た。他に誰も事務室にいなかった為、私が話を聞くことにした。優さんは男性で、中学2年生。学ランを着ているから、中学生だとは分かるが、見た目は小学5年生ぐらいに見えた。私の前にお母さん、お母さんの右隣に座った優さんは私とは目を合わせず、ずっと下を見つめていた。

「こんにちは。私は田中と申します。こちらで相談員をしております。初めてのご相談ということで、私の方で今日、来られた経緯などをお伺いできればと思います」

「よろしくお願いします。私は新田と申します。こっちが本人で優と申します。4月から中学2年生になりました。このところ、学校を休みがちになりました。最初は体調が悪いと話すので、小児科に連れていきましたが、特に問題は見られず。病院から戻ると、部屋でゲームをしているので、大丈夫なのかと思いました。でも、次の日になると、また同じように体調が悪いと話す。その繰り返しが続きました。学校でいじめられているのではないかと心配になり、学校に確認しましたが、学校ではそのような状況は見られないという話でした。本人に聞いても、何も話さず。何かこの子に問題があるのでは?と精神科に電話を入れてみたら、こちらに相談するように案内され、来ました」

 「そうですか。息子さんが休み出したのは具体的にはいつ頃ですか?」
 
 「今が6月ですよね。休み始めたのは3月頃からです」

 「食事は取れていますか?」

 「夜にゲームをしてしまうのか、朝に起きられないことがあり、その時は朝ご飯が食べられず。1日2食のことが多いです」

 「夜は眠れていそうですか?」

 「中学になってから、一人部屋を与えたので、本人が何時頃に寝ているのかは分かりません」

 「そうですか。お母さんのご心配は何ですか?」

 「何かこの子に問題があるのなら、早く見つけて改善したい。中学2年生となり、早い子はもう進路に向けて動いており、みんなに置いていかれ、おちこぼれになったら困ります」

 「そうですか。・・・お母さん、優さんとだけでお話をしてみても良いですか?」

 「はい」

 「では、お母さん、一度席を外してもらい、部屋から出て、待合でお待ち頂けますか?終わりましたら、声をかけます」

 「分かりました」

 お母さんから部屋から出た後も、優さんの視線は下を向いたまま。「優さん、お母さんは部屋から出てもらいました。今、優さんが困っていることを教えてもらえませんか?」

 「・・・・・・・」

 「学校、行くのが嫌になったのかな?」

 「・・・・・・・」

 「学校で何かあった?」

 「・・・・・」

 「友達と何かあった?」

 「・・・・・」

 「何か話してもらえると嬉しいんだけど・・・」

 何を聞いても、優さんは話さなかった。私はどうして良いか分からなくなった。「優さん、私は中学の時に友達の輪に入れず、学校にいけない時があったの。親から何で行けないのかと聞かれても、何も答えられず。黙っていた。なかなか聞かれても、答えられないよね。話すの難しいかな?・・・」

 何も優さんは話さなかった。私は居たたまれなくなり、席を立ち、お母さんを待合まで呼びに行った。お母さんが席に着いたのを確認し、声をかけた。

 「今日は初めて来て頂いたので、次回の予定を決めさせてください。その時は私一人ではなく、もう一人の担当がつきます。その時はお母さんと優さん、別々の担当がつき、別々でお話を伺う形になります」

 お母さんに次回の都合を確認し、次回の面接日を決め、その日の面接は終わった。面談室を終え、事務室に戻ると、芦沢さんも別の面談を終え、事務室に戻ってきていた。

 「お疲れ様」
 
 「お疲れ様です」
 
 「田中さん、新規の相談の話を聞いていたの?」
 
 「はい」
 
 「そう、ご苦労様でした。どんな人でした?」
 
 「はい。新田優さん。13歳。中学2年生。今年の3月頃から学校を休みがちに。体調が悪いと話すので、小児科に行くものの、異常は見当たらず。ゲームをしたりしているので、大丈夫だと思うと、翌日には同じ状況に。いじめを両親は疑い、学校に確認するが、そのような状況は見られず。精神的に問題があるのではと精神科に相談したところ、うちを紹介されたとのことで本人と母で来所されました」
 
 「そう。それでどんな話をしたの?」
 
 「来所された経緯を確認したら、本人に話を聞きたいと思い、お母さんに席を外してもらいました」

 「はい。どうでした?」

 「本人に質問しても何も答えてくれず。困ってしまいました」

 「何を聞いたの?」

 「学校で何かあったのか?友達と何かあったのか?困りごとは?などです」

 「そう、それ以外は?」

 「私も一時期、学生の頃に学校に行けないことがあったので、その話をしました」

 「その話をした理由は?」

 「私も同じだと思ってもらえたら、話してくれるかと思いました」

 「同じって?」

 「学校に馴染めなかったところです」

 「同じだと話をしてくれるの?」

 「そう思いました」

 「そうしたら、どうでした?」

 「話してくれませんでした」

 「それでどうしたの?」

 「それ以上話をしても、無理だと思い、お母さんを呼び、次回の予定を確認し、終わりました」

 「面談を終えてみて、どのような感想を持っていますか?」

 「優さんが話をしないのは、話せない理由があるのではないかと思いました」

 「どうしてそう思うの?」

 「お母さんは、心配として、2年生となり、今後の進路のことを話していました。心配が強いお母さんには話せないのではないかなと思いました」
 
 「今日、お母さんと席を外して、田中さんと二人になった時に話さなかった理由はなぜだろう?」
 
 「今日は初めてなので、慣れてくれば話してくれると思います」
 
 「そう。田中さんはどうなれば良いと思う?」
 
 「優さんは自分の気持ちを話せ、それをお母さんも含めて理解できれば良いと思います」 

 「それはできそうなのかな?」

 「やらないといけないと思います」

 「いけないか否かではなく、できそうなのかな?」

 「今のままではできないと思います」

 「その理由は?」

 「優さんが話してくれないですし、お母さんも優さんの話を落ち着いて聞けないと思います」

 「どうすれば良いだろう?」

 「どうすれば・・」

 「そう、どうすれば。田中さんは辛い時に辛いって言えるかな?」

 「えっ。私ですか?」

 「そう、私」

 「何でそれを私に聞くんですか?」

 「優さんは辛いと言ってくれない。田中さんは優さんから辛いと言ってほしいと思っている。優さんに求めていることを田中さん自身はできるのか、それを教えてほしい」

 「私は・・・」

 「・・できるかな?」

 「できません」

 「なぜだろう?」

 「なぜ?」

 「そうだね。なぜできないんだろう?それと、なぜ自分ができないことを優さんに求めるのだろう?」

 「私と優さんは違います」

 「田中さん、さっき田中さんは自分と優さんは同じって言っていなかった?」

 「・・・」

 「さっきは同じで、今度は違う理由は何だろう?」

 「・・・」

 「相手のことを聞く時に、相手の気持ちを考えたか?自分のことばかり、考えていることはなかっただろうか?優さんのことだけ、考えたと私に言えるかな?」

 「・・・言えません」

 「今日、どんな面談をしたのか?自分が何を言い、相手はどんな反応を示し、自分はそれに対して何を思ったのか?覚えている限り、自分で書いてみてください。自分の至らないところを感じ、辛くなるかもしれません。でも、私はそれをする必要があると思います。少し冷静になったどうするか?考えてみましょう。その上で、私に教えてください。田中さん、お疲れ様でした」

 芦沢さんが事務室から出て行き、一人になると、私は泣いていた。ふがいない。情けないと思った。勉強ができ、成績が良く、公務員試験にも受かり、自分はできる人間だと思っていた。思い込んでいた。でも、何もできていない。「辛い。辛い・・」、辛い時に辛いと言えないのは私なんだな。泣きながら、そう思った。


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