40年ぶりに出る社会
中学生の頃からひきこもる生活を送る。月日が経ち、本人は50代後半に。ひきこもる期間は40年以上。そんな本人が扉を開け、外に出てきた。親御さんも年を重ね、80歳を超えていた。
車から出る廃棄ガスに頭がクラクラ。人ごみにも酔ってしまう。幼き頃に見た自宅付近の状況は様変わり。まさに浦島太郎の状態。見えるもの全てが珍しく、少しの時間でも、外に出て、歩くと疲れてしまう。
ひきこもりの相談。本人と会えない、話ができない期間が長くなると、親は本人のことを想像するしかなくなる。親自身も年を取り、仕事を辞める、身体のガタがくるなど、自身に起こる変化を感じる。自身に起こる変化を本人も理解し、こうなったら本人が行動してくれる、分かってくれると思おうとする。思いたいと願う。思うこと、願うことで、月日はさらに長くなっていく。親は本人を実年齢で考えようとする。40になれば、50になれば・・、そう考える。でも、本人はひきこもるようになった年で、時が止まってしまう。その後に、人と関わる訳でもないため、年は取っても、経験としての年を重ねることはできない。中学生の頃にひきこもれば、いくら実年齢が40、50を超えても、話せば、中学生のまま。
流れてしまった時間はなかなか戻ってこない。これから本人は止まった時計を動かしていく必要がある。本人にとって、これからが本当に大変だなと感じる。
本人とのこれまでとこれから、少し時間を空けてまとめていきたいと思います。
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