芦沢さんとぼく 第2話 ぼくのどの辺が優しいですか?
県職員になり、3週間が経過した。初めの頃は緊張していたが、徐々に人にも慣れた。ただ、一つだけ、先輩である芦沢さんの面接には慣れなかった。
私は相手の話を聞き、課題を見つけ、それに対して解決策を提示するのが仕事だと学んできた。学生実習で指導を受けた精神科病院の相談員もそうしていた。だから、私はそれをする相談員になると思っていた。でも、芦沢さんは違っていた。
相手の話は聞く。でも、課題についての話をしない。「どうしたら良いですか?」と相手に聞かれても、「どうしたら良いんだろうね」と言い、解決策を提示しない。解決策を提示しないのであれば、面接を終結しても良いのに、終結しない。会う間隔を空けることはあるが、会い続ける。何をしているのだろう?私には分からなかった。
分からないから、芦沢さんに聞いてみた。でも、「何で解決策を提示しないのですか?」と聞けば、「僕には解決策が分からないからね」と返され、「解決策を提示しないのであれば、面接の意味がないのでは?」と聞くと、「面接に意味はないよ」と返される。まるで、禅問答のようだ。
前回、英語の課題が終わらないと話していた飯塚哲也さん(仮名)は、その後、無事に課題を提出した。課題を提出した翌週に来た哲也さんの面接に私は同席した。
「こんにちは」
「こんにちは」
「元気さん、課題が出せて良かったですね」
「はい。良かったです」
「今後はどうなりますか?」
「次は、国語の課題があります」
「そうですか。国語の課題はどうしようと思っていますか?」
「芦沢さん」
「はい」
「英語と同じように教えてください」
「英語と同じような形で大丈夫ですか?」
「はい」
「そうですか。それはまた日程を相談しましょう」
「はい」
「学校以外では、何か気になることはありますか?」
「あります」
「何ですか?」
「チャットです」
「チャット。もう少し聞いても良いですか?」
「僕、チャットを始めたんです。」
「はい」
「そうしたら、僕を叩いてくる人がいるんです」
「叩いてくるとは、どのような感じですか?」
「お前なんか入ってくるな。邪魔だとか」
「そうですか。哲也さんはそう書かれて、どうしていますか?」
「言い返しています」
「言い返すとはどのような感じですか?」
「お前に言われたくない。ふざけるなって」
「そう書くと、相手はどうなりますか?」
「また、言い返してきます」
「そうですか。話が終わらなくなりそうですね」
「はい。」
「どのくらいの時間、やっているのですか?」
「3時間くらいです」
「そうですか。嫌なことを言われても、哲也さんがやり続けている理由はありますか?」
「嫌なことを言う奴は一部で、話ができる人もいるから」
「話ができる人もいるんですね」
「はい」
「でも、困りますね。嫌なことを書く人がいて」
「はい」
「どうしようと思っていますか?」
「芦沢さん、助けてください」
「助ける?どういうことですか?」
「僕と一緒にチャットに入って、僕を助けてください」
「私が、ですか?」
「はい。芦沢さんが自分の携帯で入れば問題なのかもしれませんが、僕の携帯で入れば良いですよね」
「どういうことですか?」
「僕、携帯2台あるので、芦沢さんも入れます。芦沢さんが僕の携帯を使ったら問題かもしれませんが、芦沢さんが話す言葉を僕が入力すれば良いですよね」
「私は自分の話す言葉を哲也さんに言えば良いんですか?」
「はい。ちょっと待ってください。準備します」、哲也さんは鞄から2台の携帯を出し、操作を始めた。何が始まるのだろう?芦沢さんは何で止めないんだろう?私は芦沢さんの横に座り、ソワソワしながらその様子を見ていた。
「芦沢さん、入れました。僕が入ったら、いつも嫌なことを言う奴が僕を責めてきています。またお前か、出ていけと言っています。芦沢さん、助けてください」
「嫌なことを言うのは止めようと書いてください」
「はい。書きました。・・書いたら、お前は何者だと言ってきました」
「この人の知り合いですと書いてください」
「はい。書きました。・・書いたら、知り合い?コイツの知り合いなら、お前も同類。コイツはどうしようもない奴。お前も一緒に出ていけと言っています」
「どうしようもない奴ではない。気持ちが優しいから、色々なことに気づいてしまうだけと書いてください」
「はい。書きました。芦沢さん」
「はい」
「芦沢さんは僕のことを気持ちが優しいと思っているのですか?」
「気持ちの優しい人だと思いますよ」
「ありがとうございます」
「芦沢さん」
「はい」
「僕のどの辺が、気持ちが優しいですか?」
「ご自身のことだけでなく、私のことも考えてくれている。なかなかできることではないと思います」
「ありがとうございます。芦沢さん」
「はい」
「他にはどんなところが優しいですか・・・」
そのような会話がしばらくの間続き、チャットをしながらの面接は終わった。私は何を見させられたのだろう?相談者と面接中にチャットをする人を私は知らない。哲也さんはチャットに依存している。嫌なことを書かれても、離れようとしない。今後、相手とトラブルになることも予想される。哲也さんにそのことを伝え、止めさせるべきではないのか?それが専門職の務めではないのか?芦沢さんがしているのは遊び。哲也さんにただ付いているだけ。振り回されている。私が学生実習で見てきた指導者たちは、依存の害を伝え、止める手立てについてアドバイスをしていた。でも、芦沢さんは害も伝えず、アドバイスもしていない。私は面接が終わった後に、芦沢さんに聞いてみた。
「芦沢さん。一つ聞いて良いですか?」
「はい。どうぞ」
「芦沢さんは何で哲也さんにチャットを止めるように言わないのですか?」
「言った方が良いですか」
「はい。勿論です」
「なぜですか?」
「彼はチャットに依存しています。これを続け、トラブルになったら大変です。そのためにも止めるように言った方が良いと思います」
「言ったら、哲也さん、止めますか?」
「止めるか、止めないかではなく、言うか否かです」
「止めないのに、なぜ言うのですか?」
「なぜ?・・」
「止めないだろうと思いながら、わざわざ言う理由は何ですか?」
「・・・」
「私が言ったら、彼はどうしますかね?」
「どうするか・・」
「私にチャットをしていることを言わなくなり、隠れてしていたらどうしますか?」
「家族に聞きます」
「彼との間でイタチごっこをするのですか?何のために?彼がチャットに依存しているのであれば、その理由は何ですか?」
「依存するのに理由があるのですか?好きだから・・」
「彼は好きだからやっているのですか?彼が好きなのはチャットのどの部分ですか?」
「どの部分?」
「私は彼のことが知りたいなと思います。そのためには彼との間にどれだけ同じ時間を過ごせるかが大事なように思います。」
「同じ時間?」
「そう。同じ時間。私と哲也さんとの関係がどうなっていくのか、それを見た上でぜひ田中さんの評価を教えてください」
「・・はい」
関係。芦沢さんが前回も言っていた言葉。私は学生時代に課題を見つけ、計画を立てることが仕事だと学んだ。関係という話を聞くことは殆どなかった。でも、芦沢さんは課題や計画という言葉を使わず、ただ関係と言い続ける。そこに何があるのだろう。
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