「ソーシャルワークのまなびかたー原因と結果のあいだの話―(仮)」
昼食を終えたお昼過ぎ、私の席の電話が鳴りました。電話の相手は、市町村の子育て支援課の職員。現在、子育て支援課が関わる家庭についての相談でした。
相談の内容は、父、母、10歳になる息子、3人による家庭について。父は会社員で、母は専業主婦。子育て支援課が関わるキッカケは、息子が通う小学校からの相談でした。
息子は忘れ物が多く、担任がいくら言っても直らず。何度も言うと、息子はその場で癇癪を起してしまう。息子の発達障害を疑い、家にいる母に連絡を入れるが、繋がらず。父に連絡を入れると、「母親と息子に言っておきます」との返事はあるものの、状況は変わらず。
学校から子育て支援課に協力要請があり、日中の時間帯に自宅へ訪問すると、母は起きたばかりと思われる状態。案内され、家に入ると、缶ビールの空き缶が数本、置かれていました。母に「お酒、飲まれるのですか?」と聞くと、「眠れない時があるので、その時に」との返事。室内は物が散乱としており、掃除ができていない状態。学校がその日の夜に父に連絡を入れると、母がお酒をよく飲むこと、そのため掃除などの家事ができず、父もそのことに困っていたこと、父が母に話をしても、母は行動を改めないとの話がありました。
学校より、母にはアルコール依存症の問題があり、それを解決しなければならないとの話が子育て支援課にあり、どうしたら良いか分からず、連絡をしました。相談内容の詳細は個人を特定されないように加筆修正していますが、私のところには上記の子育て支援課に限らず、地域の相談機関よりこのような相談が入ります。
皆さんはどう思いますか?私のところに来る相談機関からの相談には特徴があります。相談機関が私への相談の段階で、問題と問題が解決した先のゴール、結果を決めています。上記の例で言えば、息子の忘れ物の原因は発達障害であり、息子が忘れ物をするのに気づき、改善する行動を親が取れないのは母にアルコール依存症がある、母のアルコール依存症を解決できなければ問題はなくならない、そう考えています。でも、問題から結果につなげる手段がない、どう進めたら良いのかが分からない。多くの相談がそのような話の構造になっています。
原因と結果を繋げられないのであれば、そもそも相談機関が決めた原因が間違っているのではないのか?そのように相談機関に伝えると、「私たちは専門機関ではないため、それを繋げる術を知らない。それを行うのが皆さんの機関の役割ではないのですか?」とそんな返事が返ってきます。でも、不思議な話ですが、専門機関ではない機関が判断している原因は正しいのでしょうか?専門機関でなければ、判断ができないのでは?そんな疑問が湧いてきます。専門機関ではないと自認しているのに、自分たちが決めた原因と結果は譲らず、「自分達が原因と結果は決めたので、後はお願いします」、そんなニュアンスを感じてしまいます。
私が支援の現場に入った時は制度も整備されておらず、私自身がやらなくてはいけないことが沢山ありました。私は主に精神保健福祉の現場で仕事をしてきましたが、住む場所、働く場所がなければ探しに行く、家庭内でトラブルがあれば訪問し、家族間の話し合いに同席する、生活をしていれば起こる様々な問題に対して、その都度で考え、判断し、行動してきました。所属する事務所にいることはなく、いつも問題が起こる場所にいました。予め何か一つを問題と定め、その解決に向けて進めるという形を取ることはありませんでした。
月日が経ち、制度が整えられ、制度のもとで作られた社会資源に繋ぐことが仕事となりました。予め一つの問題を定め、その解決策を提示した計画を作ることが求められるようになりました。問題が起こる現場にいる者はなくなり、事務所内に居て、関係機関に連絡をするのが普通となりました。
私のところに相談をしてくる相談機関は普通のことをしており、おかしなことをしている訳ではありません。ただ、原因と結果をつなぐ間のプロセスがないため、いつまでも原因は原因のままで続いてしまい、それが解決されない原因を、原因を起こしている相手、上記の例で言えばアルコール依存症を治そうとしない母、その母を説得し、解決に向けた行動が取れない父、その手助けをしない私に求めることになります。
今の仕組みの上では普通のことであっても、状況を良くする形になっていないのであれば変えていく必要があります。でも、変われと言われても、人はなかなか変われません。問題が起こる現場に出ろと言われても、出て何をしたら良いのかが分からない。原因と結果を繋ぐ間をどう進めたら良いのか、そもそも知らない人も多いように感じます。
プロセスに正解はありません。こうすれば必ずこうなるという話ではありません。そのため分かりにくく、行うのが大変だとの印象を持つ人も多くいます。でも、それをしなければ何も始まらない。言い方がよくありませんが、原因と結果を繋ぐ間がない、間抜けな話になってしまいます。
プロセスを重ねていき、その場その場で判断し、行動していく上で大事になるのは社会資源ではなく、物事の見方、考え方。出てきた状況をどのように見て、その後の展開を考えるか、それを理解していなければプロセスを積み重ねることはできません。
これから綴る、私が関わってきた事例のプロセスを通じて、改めてソーシャルワークを考え、まなぶ機会になれば良いなと思います。宜しくお願いします。
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