2020年7月12日「いつが一番幸せかなんて本当は考えない方がいい。」
にちようび
昔、我が家は日曜日のご飯は必ず家族で食べることと決まっていた。私が小学生4年生までの話だけど。
両親が離婚して、母1人と子ども4人は隣町に移り住む事になり、兄は中学にあがって部活もはじまる。自然とそんな習慣は昔話になり変わる。
私は時々、今でもあの頃を思い返す。
幸せの意味を求めようとすると苦しくなるように、とても歪な家庭だった。のかもしれない。
でも、あの頃はあの頃で幸せだった。のかもしれない。
うーん、比べてみるとやっぱり、あの頃は幸せだったのかもしれない。
生きてきて、いつが1番幸せですか?
なんて聞かれたら、私は今この時です!と答える。
そもそも、「いつが1番幸せでしたか?」と過去形にしない時点で私の思想がそうなっている。
そうやって胸を張って言えるようになったのは、いつの頃からだろうか?
心の底に怒りを抱えて、悲観していた頃もあった。毎日、毎日、通り過ぎる出来事を眺めるように生きている頃もあった。
過去の後悔ばかりする日もあったし、自分がどうして社会の役に立とうと悩む日もあった。
書き出すと病んでたのか?というようだ。
きっと今どきの言葉にすると病んでたんだろう。
でも私の特殊性は、それでいて沈みこまないところと、他人のせいにしてても自分を救ってやれないと気がついたところ。
目立って反抗期もなく、グレることもなく、そして危うく踏み外すギリギリのラインで社会人となっている。決して、よく出来た大人では無い、ダメダメ野郎なんだけど、それでも朗らかに生きている。
しぶとい。
だからこそ、昔のことを今でもよく思い返す。
戻りたい訳でもなく、恨んでる訳でもなくて、
少し後悔したり悲しんだりはするけど、ただ、忘れないでいたいんだ。
私にも、あんな日々があった。
それが正しい幸せかなんて分からないけど、
そんな日々が、あの人にも、あなたにも、あの国でも、あるかもしれない。無いかもしれない。望んだかもしれない、逃げてきたかもしれない、目指してるかもしれない。
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日記やねん。
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朝はね、冷蔵庫のレーズンパン食べましたね。
どうぶつの森でカブを爆買いして、サブキャラの家を増築して(借金リレー再びでかったるしですね。)
お昼はね、、、えっとね、、、キャベツサラダ
で、夕方お腹すいてカップラーメン。
夜は昨日と同じ。
豚肉をめんつゆとごま油とキムチのタレにちゃぷんしてうどん。
スモモもたべた。
すももとナタデココの組み合わせが一番好きなんだけど、そもそもナタデココが見つけられないこともあって。だから今年はまだ1回だけ。
今のうちに堪能しないとすもも無くなっちゃうなぁ。
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また昔話だけど、実家でもよくキッチンに突っ立ってすもも皮ごとかじってた。
母が笑うのよね。
せめてお皿に出したら?って
でもね、パクってしたらお汁がじゅわ〜〜なんですよ。シンクで食べた方が効率がいいじゃない。
どうせ一瞬で食べ終わるのだもの。
すぐ手も洗えるし、洗い物もでないし。
ね。
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テレビが壊れちゃったから、スマホで世にも奇妙な物語見ました。
面白かった!
あと今日は少しだけおやすみプンプン読み返した。
七夕の日は愛子ちゃんを思う…
という国民が一定数いるじゃないですか。いるんですよ。
私も先週そんなこんなで頭の中に愛子ちゃん思い出してて、ついうっかりとある人との会話に出ちゃって、貸してあげることになったのです。
が、読み返して思うのは、
いやこれは唯一無二の傑作であるがしかし人に勧められたもんじゃないな。(笑)
ということですね。(笑)
(笑)
なんか変なもんすすめちゃってごめんよ、青年。
しかし、まぁ名作ではある。
読後の脱力感たるや…
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